カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

雑誌をさかのぼる

2022-11-17 | つぶやき

 雑誌の記事を全部読む人なんているんだろうか? 少なくとも僕は読まない。雑誌なんだから、読みたいものだけ読んだって誰にも叱られやしない。雑誌でなくともそれは事情は同じだけど、雑誌の場合だと特にそういう気がする。目次のようなものも特に目に止めることも無くパラパラめくって、ときどき読んだりする。雑誌にもよるけど、だいたい気に入った連載などがあり、そういうのを先に読んで、残念なことに食わず嫌いもあって、まったく目も通さない文章もある。別段嫌っているとかいうのではないが、本当に気にもしていなくて、平然と読まない。
 そういう感じではあるけど、ごくたまに何かの間違いで、そういうものを読んでしまうことがある。これまでにも連載してきたものだから、過去にもこれは書かれていたものだと改めて気づく。そうするとなんだか過去のものも読んでみたいような欲求に駆られる。しかし雑誌というのは厄介で、読んだらそこらに放り出してしまうことも多い。以前の僕はそれなりに系統だって保管していた時期もあるのだが、ここ数十年は、もうそんなことはしていない。しかしそれなりに捨てないでとっておくことは、スペースが許す限りしている訳で、思い切って整理しようと考えない時期が長ければ、探して見つけ出すことは可能になる。そういう事って実は結構あるもので、ああ、今回も来たな、と思った時に、さかのぼることが出来るくらい残っていると、たいへんに助かる。
 そんな感じで過去の記事を探しながら読んでいくと、その人の文章以外のものを、これまた、つい読んでしまうこともある。そうするとその人の過去のものが気になりだす。著書も探せば持っているかもしれない。そうして本棚をあさることにもなる。あちこちひっくり返して大変な騒動だ。結局アマゾンでまたクリックしてしまって、数日後本が増える。そういう騒動でクリックしてしまうと、なんで買ったのかすでに覚えていないものが届けられて来たりして、困惑する。なんで買ったかも覚えていないというのは、もうすでに興味が失せているのである。
 雑誌と言っても、いわゆるPR誌というのを結構定期購読していて、近年はものすごい勢いで廃刊する数も多いが、それでも数誌は生き残って毎月届けられてくる。こういう雑誌は隔月で連載されているものがある。あるいは三か月に一回のペースで連載されている人もいる。こういうのは、探すのがさらに厄介になる。PR誌と言ってもそれなりに学術的なことを書いておられる人もいて(そのまんま学術誌もあるし)、物事の内容を前提から順に説明していくスタイルを取っているものも多い。そうすると、遡りだすと徹底して遡らないことには、内容がよく分からない。いや、そういえばそういう内容だったのだと、後になって遡ったことであらためて分かることもある。こういうのは腰を据えて取り組まないことには、歯が立たない。しかしそういうものこそ面白いのだから、たちが悪いのである。雑誌を読むというのは、そういう格闘の火種を含んでいるのである。
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