カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

個人主義はエロも越える

2019-11-14 | culture

 「龍と闘う少女」というドキュメンタリーを観た。映像作家の娘さんが白血病にかかってしまう。もともと娘の成長を映像で撮っていた父は、その成長記録を淡々と残すつもりでいたようだが、この娘の病気のせいで、その物語が一変してしまう。しかしこの監督はちょっと変わった人のようで、娘の苦しみの記録のはずが、ミュージカル仕立ての演出が入る。コメディとして描かれていくのである。道行く人が交通標識にぶつかって倒れたり、シュールな映像が、ドキュメンタリーの映像と混ざり合って展開していく。病院の先生や看護師さんたちも、冷めた演技をしている。母親も娘と一緒にタップダンスしたりする。
 娘をかわいく思う父の気持ちは、痛いほどわかる。コメディだけど、家族の心配も透けて見える。ただし、やっぱり日本人とはずいぶん違うなあ、と思わせられる場面も多いのである。
 特にエロ目的に演出しているわけではないが、娘のパンツだけの姿も結構映している。医療機器との接続画面もあるので、そういう処置で肌が見えることもあろう。盥の中で水浴びも全裸だし、着替えのシーンなんかもある。娘のそのままを映像に残すという意味は良くわかるのである。しかし父親も男性で、そういう少女性のある娘を美しく思ったり、かわいいと思っていることに素直になりすぎている感じなのだ。よこしまな見方などせず、それこそが素晴らしいということなんだけれど、ちょっとどぎまぎしてしまう映像も、躊躇なく使われているという感じがした。大人になった娘が、お父さん、これ映しすぎだったんじゃない? って非難するときがあるんじゃないだろうか。
 まあ、もともとこのあたりの国の人は、女の人の裸に寛容という文化があるようである。街中のポスターがドカーンとセクシーであっても知らんふりで、芸術だとかファッションなら、エロでセクシーでも問題にしない。その癖に日本のコンビニなんかの雑誌がセクシーだったら文句を言ったりする(単に文化の違いなだけなのに)。夕方のドラマはまじめだが、9時以降は肌の露出が増えるともいう。子供が寝ているのだから(建前上)気にしないでいいということらしい。
 そういう性に関する寛容さの違いは大きいと思うが、これが父親が作家だから作られたという側面の方が大きいようで、第三者ならもう少し難しい解釈になったかもしれない。さすが個人主義の国のドキュメンタリーなのであろう。
コメント
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