カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

選挙カーが走っている理由とは

2019-04-11 | culture

 選挙が始まると毎回、選挙カーがうるさいとか、意味がないとか、マイナスだとか、日本だけ、というような意見が増える。僕自身も、ある程度はごもっともかなという感覚はあるものの、しかしながらこれらの意見が間違いであることを知っている。選挙制度が違うので致し方ない結果が選挙カーなのであって、ましてや日本だけの風景ではない。まあ、アジア的ではあるのだろうけれど。
 日本だけが特に違うのは、戸別訪問の禁止であろう。選挙期間中にこれができないのは、聞いたところでは日本だけのようだ。要するに多くの国では、選挙期間中に大勢の候補者その他が、家に押しかけてくるわけだ。さらにテレビCMやラジオなど、選挙の広報があふれる。プラカードを持った人々が練り歩いたり、ビラが散らかったりする(そのあたりは日本にもあるだろうけど)。街頭の演説は日本以外にもあるし、広場での演説も普通だろう。集まるように呼び掛ける運動も頻繁に行われているようだ。別段運動家でなくても家々に誰の支持者か旗を立てたりして、意思を表示する人々も多いようだ。戸別訪問があるので、そのようにしなければ面倒というのもありそうだ。要するに選挙カーが無くても、それなりにうるさいのに変わりはない。むしろ日本の選挙は、選挙カーであっても誹謗中傷は少ないし、礼儀正しいという意見も、外国人からそれなりに聞かれることである。もっとも言葉が分からないうちは、うるさいだけであるようだけど、意味が分かると考えが変わる人が多いようだ。選挙カーがかち合っても、相手に敬意を示すなど、日本人らしいと感心する人もいるようだ。面白いので写真にとる外国人も多い(選挙のない中国人も面白がっているようだ)。うるさいながらに整然としたコントラストが、日本の風景として、それなりに興味深いものがあるようだ(いつもは静かな日本人が、カラフルに派手にふるまうのも面白いらしい)。
 意味がないというのも嘘で、投票行動に実際に結びついているという科学的な根拠もある。選挙というのはお祭りなので、うるさいのは当たり前ととらえている人が多いのだ。祭りには神輿が街を練り歩くわけで、基本的には同じようなものだという認識があるのかもしれない。また、選挙カーを待ちわびている人の方が、実際には多数である。選挙カーが来ないのは、無視されているせいだと感じている有権者も多い。くまなく車を回そうという配慮は、そのような要望に応えてのものなのだ。
 また投票にはマイナスであるという意見もあるが、そのような意見の人はそもそも投票に行かない(行っていない)というデータがあるようだ。投票行動に関係がないうえに、残念ながらマイナスの影響もないわけだ。
 ただし、実際に選挙カーがうるさいのは事実であるし、改善の余地はかなりある。規制する方法もある。一番の近道は、実際に投票に行かずにうるさいと苦情を言っている人々が、投票に行くことである。これが一番早い。投票しない人間の意見を聞く政治家はいないからだ。そうして彼らが法律を作るわけで、投票に優位性があらわれている選挙カーを規制する動機にはならないだろう。日本の選挙制度は、有権者の感覚とかなりずれのあるものであるのも事実だろう。要するに古いわけで、戸別訪問や討論会や演説会の開催のされ方など、いくらでも改善の余地がある。記名方式の投票方法なども、見直した方がいいだろう(特にネット選挙の解禁は必須だろう。また民意を反映させるためには、ボルダ方式も採用されるべきだ)。つまるところ、そういうことに手を付けない政治家を選んでいるのは、有権者なのである。選挙カーが走っているのは、選挙の結果が物語っているに過ぎないのである。まったく残念なことだけれど…。
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