今夜、すべてのバーで/中島らも著(講談社文庫)
著者の中島らもは、たぶんアル中だったらしく、この小説は自己の体験をもとにして書かれたものであるような感じである。著者は故人なので、どこまで本当なのかはわからないけれど(研究者や身内は知っているだろうけど)、かなり生々しいアル中闘病記である。日頃アルコールを飲む人も、またそうでない人も、そうしてその家族にとっても、身につまされるというか、大変に勉強になるお話ではないか。
人が酒を飲む理由というのはいろいろあるのだろうが、日常的に酒を飲むようになると、このアル中への恐怖というものがある。煙草や酒は体に悪いらしいことは知っているので、常習しているひとは、緩やかに自殺をしているようなものである。百薬の長という言葉はあるが、酒が体にいいということは恐らくなくて、酒を飲むことで食欲増進になる場合があって、そういう人にとっては、あるいは体にいいことも無いではないという程度のことだろう。アルコールを毎日飲むような人は歴史的にもたくさんいたのだろうけれど、これほど自由に誰もが酒を飲んでいいという時代になったのは、比較的にそんなに歴史のあることではない。そうすると一定の人の中に、いわゆるアルコールに依存するような人が出てきたわけで、これが一種の社会問題のようなことになる。酒は法律でも飲んでいいことになっていて、成人なら大手を振って飲んでよろしい。しかし酒を飲んで困るのは、酒を飲みながらできることが限られてくることだ。自分の自由な時間にどのように飲んでも良いのだが、この酒に酔ったり、その後具合が悪くなったりすることで、困ったことになるというのは、だからそれなりにありふれている。飲酒運転のように反社会的な危険行動というのもあるが、酒に酔うと、脳の機能がアルコールでマヒするのであるから、それ以外にもたいへんに危険なことがたくさん起こりうる。運良く生き延びても、常習的に飲んでいて、内臓の調子を崩して亡くなる場合もあろう。自殺なのだからそうなるわけだが、果たしてそれでいいのか、という問題になると、良いわけが無いということになる。しかし酒を飲むのは人間の生活の中ではそれなりに楽しいこともあるわけで、そういう人間的に生きているということを考えると、いくらでも言い訳はできてしまう。そこがアル中の生まれる大きな要素になっていて、その困った理屈を掘り下げて考えていくと、このような面白い小説になってしまったということになるんだろう。ものすごく恐ろしいホラー小説でもあるわけだが、同時に非常にユーモラスで、楽しくてやめられない文章の魔力がある。このドラマを読んだおかげで人生が豊かになるような、不思議な読後感のある物語である。
何となく自分の考えていることも整理できる。なぜならアル中の言い訳というのは、どことなく共通感があるからだろう。僕はアル中ではないが、アル中の人が自分がアル中であると自覚的である保証はない。一つだけ分かったことは、アルコールを目的にしない生き方が正しいということだろう。そうして人というのは、そのような目的のない人生を送るべきなのだ。非常に綿密に資料を調べて書かれた小説でもあり、普遍性がある。だからこそ名作として後世に残すべき作品といえるだろう。