陣営に入ってくる情報というのは、当然ながら持ってくる人の思惑が少なからずある。逆に僕から何か引き出そうと考えて話しかけてくる人がある。そんなに意識的ではなかったけれど、ちょっとした駆け引きが生まれるものがあったようだ。
一般的なものをまとめて考えると2強の次に追いかける三番手があって、その次である。というもの。競ってはいる。と付け加えの言葉がある場合がある。立民においてはプロが入っているようだし、古くさかのぼって前身民主党時代Tさんの時代には、十分7~8000票はとれたはずで、五つ巴の状態なら勝算があるということだろう。後に共産とも手を取ったと聞く。もっともそのために、そもそもの支援者のいくらかは離れたという話もあった。
三番手の奥さんの人望があり、いわゆる浪花節的には高齢層に一定のシンパシーがありそうだということも聞いた。後半確かに躍起になって動員しているという話も聞いており、やはりどの陣営も力を出している空気は伝わってきていた。当然二つの巨大組織陣営の動員力はすさまじく、どこにも人が大量投入されて支援者の色で染めていく。圧倒戦略ということなんだろうと見て取れた。これがどれほどの効果があるのか分からないが、一部の人間をナーバスにさせる力があることは確かなようだ。うちの陣営でこんなことはそもそもできない。少ない人数で悲壮さを演出でもしてみるか、などと力のない冗談を言う程度である。
街頭に立ったり練り歩いたりというのはしているが、街宣車のウグイス嬢から、やっぱり本人が車に乗っているときのほうが、ノリが良くて楽しいという意見が聞かれる。事務所の雰囲気もいい。戦っているが締め付けるものがそもそもないので、素直に頑張る力を出せればいいという感じだろうか。さらに面白くなってきているのだから、ちょっとしたいい力も出てきているのではなかろうか。
反応は悪くないのである。期日前投票済ませたよ、とか、家族にもちゃんとお願いしたよ、とか。電話はもちろんラインなんかにも頻繁に連絡が入る。うれしいが、同時に不安も覚える。良い状態には落とし穴があるのではないか。そんなことばかり頭をもたげるようになる。そんなに悲観論者ではないが、思いが強くなりすぎるといけないのかもしれない。
投票日は長い一日だった。少し遅めに起きはしたが、ふつうの日曜とは違う朝だ。新聞読んでもブログ更新しても、違う朝だ。録画している番組をチェックしたり、少しだらだらしたりして、どうにも落ち着かない。母を連れてようやく投票に行くが、ほとんど人のいない投票所でスムースに事が運びすぎる。何もかも穏やかで、何か引っかかるものがない。雑誌を読んで小説をつまんで、そうしてテレビ見て、近所の公民館に向かう。班の花見なのである。一年に一度しか顔を合わせない人がほとんどだけど、それなりに話は弾む。世代も事情も超えて、ふつうの世話話をする。良く聞こえてない人もいるが、それはそれで構わない感じである。聞いた話もあるが、そういえば数年前のことだろうことで、そんなに煩わしいことではない。
すぐにお開きになって、買い物行って、さすがに夕方ぐったりして少し仮眠した。
家にいるので愛犬が落ち着かない。しかたないので散歩に出て、そうして食事に出て、シャワーを浴びて着替える。そんなふうにしてやっと時間をつぶして、遅めに事務所に向かった。ちょうど開票するというテレビの画面があって、しかしさらに一時間半後に一回目の中間発表をやるという。とにかく時間が遅く進む。開票は遅々として進まない。いや進んでいる様子なのに発表がされないのである。いったい何をやっているのだろう。お隣の諫早市は当確発表が出て開票速報がどんどん出る。大村はシラーっとしている。あることをそのまま流すことを、なぜできないのであろう。そうしてすべての陣営の票が2500票と出る。どよめきとともに怒号も漏れ聞こえる。何か開票作業に悪意がこもっているようにさえ感じられる。
また長い時間。開票所に行っている連中からぼちぼち選対に連絡が来ている様子。いよいよ90%開票状況が伝えられてくるはずだ。11時、また人が増えてきている。近寄ってきて、それなりによさそうですよ、と伝えてくれる人がいる。ふーん、そうなのか。そしてテレビの発表。三番手か? 大変などよめき。いや、これで決まりだろう、と誰かが叫ぶ。電話がぶるぶる震える。誰かに呼ばれる。やったやったの声が上がって、皆の声が歓声に代わる。テレビ局も来た。良し、誰が司会やるんだっけ。始めよう!
何かグダグダ話したが、もちろんその場で思ったことをダダ流した。何もかも許される気がしたし、皆の笑顔がまぶしかった。現実ってなかなかいいな。いや、こんな現実少なかったな。人々もなかなか帰らず残っていろいろ話をしている。様々な人にあいさつをもらって、再度万歳してお祭りである。これから俺は何をやるんだっけ? まあ、そんなことは後で考えよう。他の人が何か考えてくれるのだろう。