厳密な意味で会社勤めをしたことが無いので分からないのだが、単に向かないということはさておいて、会社に勤めていたらどうなっていたかな、という話である。まあ、いらん人間を抱える会社の不幸という側面はあるが、僕はどうなってしまっただろうか、ということになる。まあ、最初の会社は数年で辞めただろうから(いや、あんがい僕の意思では辞めないとは思うのだが、辞めさせられた可能性はあると思う)、その次である。ある程度は気持ちを入れ替えたにせよ、それなりにふてくされた人生ではあったろう。
まったく同僚と上手くいかないということは無いと思うが、上手くいかない人とはそのまま上手くいくわけが無いから、まさか殺人事件にまで発展するとは思えないが、まあ、ちょっとはありうる話である。僕は小心者だから殺せないので、たぶん殺される方である。そこまで追い詰めてしまうというのも罪ではあるが、僕としてはそんな意識は微塵も無くて、むしろ被害者意識のみであろう。被害者だけどそれは譲れないからこじれるわけで、いや、自分としては最大限譲歩しているはずだが、相手がそんな風に受け止めていない場合があるということで、逆恨みを買うに違いないのである。喧嘩は売ってしまうというより、たぶん最初は相手の方が売っているはずで、それに僕が地雷を踏むという形になるに違いない。で、僕には悪気が無いので、(気づいた場合のみだが)形上謝っても態度でそれは分かりえるものだから、こじれていくという感じだろう。まあそれは会社問題でなくとも同じなので、予想というより、そのまんま今と同じである。ただ会社問題としては、それは現在は回避されているのは、僕が会社勤めじゃないからである。要するに勤めてないから、相手も僕も逃げられる方法があり、平和なのだ。偏見もあるかもしれないが、会社内部だとお互いにつらいだろうな、と思うわけなのだ。
そんな人生が何十年と続く。年が離れていたら相手が去るまでということで多少は平和だが、近い人だと地獄は続く。転勤があればいいが、そういう人間関係の人が一人だけとは限らない。新しくそのように気まずい人は増えるだけだから、複雑に嫌な感じがクロスしたまま月日が続く。人間諦めが肝心だが、相手が諦めてくれるとは限らない。そういう人だから僕と関係が悪くなるわけで、僕の方はあまり改善が期待できないのだから、困るのである。そういうことだから僕が自殺するか、殺されなければならないという結論が一番身近なものになるということか。まあ、普通その前に辞めるか辞めさせられるということなんだけど。
多かれ少なかれ、僕以外の人は、だから悟るということか。そういう意味では世の中どういうわけか巡り会わせが不思議な具合に転んで行って、現在に至るということだろう。もっとも死の危険が去っているのかは、僕には分かりようがないのだけれど。