カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

相手を思いやることは、自分が正直に生きることだ   かけがえのない人

2016-07-31 | 映画

かけがえのない人/マイケル・ホフマン監督

 事故から奇跡の生還を果たした男は、ある老人の死によりその弁護士より呼び出される。そうして同じく呼び出されていた過去に付き合っていた女性と再会する。この二人は、以前に深く愛しあった仲だったことが示唆されるが、よくある身分違いもあるようで、現在は離れて暮らしていることからも、何か問題があったはずである。現在と過去の二人の物語は同時進行して、別れた謎と二人の今後がどうなるのかという展開になっていく。
 20年という時代の違いがあるために、回想シーンと現代の二人はまったく別の役者さんたちが演じ分けている。若いころの初々しさと中年の落ち着きは確かに違うはずだが、特に男性の方はかなり背丈や骨格が違う感じで違和感が大きかった。もっとも女性もそれなりにタイプが違うようにも思うし、西洋人にとっての現在過去の感じ方は、東洋人のそれとは違うということなんだろうか。そもそもそんなに似せる必要は無いという考えもあろうけど、あまりに別人だと思い入れの感情に影響があるようにも思う。アニメか何かにするとよかったのではなかろうか。
 また虐待のことも描かれているが、恐らく遺伝もあるので、何らかの悪の要素というか、それから脱皮するための葛藤もあった方が良かったように思う。突然変異で悪に染まらない善人が生まれるのはかなり不自然だ。いや、葛藤はあったとは分かるが、しかしもう少しその恐怖が顕著に表れるようなものがあった方が、やはり人物造形には必要ではないかという感じかもしれない。正義の方も最初から防衛が過剰で、(立場上仕方がないが)これは暴力が連鎖するのを食い止められないというむなしさを覚える。まあ、それでなければ物語が成り立たないかもしれないが。
 さらに老人と青年の家族の成り立ちのエピソードももっと必要だとも感じる。これでは居ついた青年が勝手に彼女を連れ込んでいいことをしているような妙な罪悪感を見ているものに与えるような気がする。少なくとも僕はそう感じる。若いんだから当たり前だとは思うものの、もう少し隠れた罪悪感があった方がいい。また、彼女の反対する父親の姿も、やや唐突だ。こういうものは、もっと以前から伝わっていたからこそ、いざというときにきっぱり行動に出るのではなかろうか。
 甘くいい話だが、残酷でもある。若いころに思ったことは、例え間違った暴走でも、とことんやった方がいい。そうして別れてしまった方が、もっとあと腐れなくていい。そうして現在も気持ちがあるのなら、また暴走を始めた方がいい。そういう愚かな人間だからこそ、恋愛というのは原初的に生きている証なのだと、僕は思う。
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