カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

政治とミュージシャン

2016-07-06 | 音楽

 ミュージシャンの政治的発言が話題になることがある。有名人だから実に当たり前のことだけれど、取り上げる側に恣意的な判断がある場合の方が多いと感じる。なんかノセられちゃったかな、という感じか。言っちまったもんは仕方ねえ、という開き直りもあるかもしれない。前々から言いたかったよ、という人もいるが…。
 よく西洋では当たり前だけれど、日本では稀だという意見も聞かれる。日本は興業で食っている人を指して、あまり政治的(に偏ること限定だが)には発言しないというに過ぎないと思う。個人的にはどうであるにせよ、発言力が強い自分の事を知っているなら、控えた方が賢明という考えもあるだろう。大衆的なことを言ったとしても、ミュージシャンという個人は既に大衆ではありえない。
 しかしそもそも政治的な人でミュージシャンというのはいる。言葉も商売道具だから、自分のスタイルとして政治的なことも含めて言う(歌う)。外国だとスプリングスティーンみたいな人か。しかし彼の曲は皮肉にも反対陣営が自分たちの応援歌として使われたりした。文意が詩的過ぎると読み間違えられる。まあ、それが皮肉になってお笑いにはなるが。
 しかし、日本でも反権力に敏感で声を上げる人はそれなりに居る。それがロック的なスタイルとして人気が出る場合もある。生活のためにやっているとしたら、それはなかなかいい戦略だ。もっとも反権力で弱者だと勘違いしている人もいるので、それなりに残念だったりもする。若いころはいいが、年取ったら自分の頭で考えることも必要だろう。
 さらに音楽家だった人が、ある意味では客寄せパンダで政治家になったりもするわけで、これはかなり残念な感じはする。しかし選挙は美人投票の側面も否めない。さらに本当に政治家を志すというのは国民としてはまっとうな権利だから、その職業の人を排除することは出来ない。倫理的な問題としてはだから、政治家は最初に有名人を目指すべきという論も立つだろう。そうするとミュージシャンのような大衆の支持を一度得た人が政治発言をするのは、非常に効率的なのかもしれない。
 英国のEU離脱の国民投票で、ノエル・ギャラガーは投票日の朝に決めると発言した。忙しくていかないかもしれない、とも言った。文意はいろいろあるが、重要な問題を国民にゆだねる方法についても批判しているらしいこと(つまりキャメロンのような指導者は最低だということだろう)、今回の問題に対して、例えばイラク戦争のときは国民投票を選択しなかった。そのような欺瞞に憤りを覚えているという意味もあったらしい。その上で国民を先導するような態度を自分は取らず、当日という言い方で各人に考えさせることを選択したと言える。彼の立場は知らないが、この背景を日本にまともに伝えたメディアはやはりあまり知らないので、やはり恣意的に用いる人にも知能が必要だとは感じた。
 少し前の話になるが、鈴木宗男が国民的な悪人認識をされている最中に、松山千春は公然と鈴木を支持した。これで松山はかなり株を下げた訳だが、僕はこれに大変に感心した。これはミュージシャンの話を少し超えたところにあるが、自分の考えに躊躇が無いばかりか、そして社会的な背景を分かりながらやっているだろうことは間違いなかろう。北海道の状況が異常だという意見も聞かれたが、ちゃんと鈴木氏は落選した。僕は松山のファンでは無かったが、そうして彼の主義にも何の賛同も感じないが、しかし、ミュージシャンでまともな発言の仕方だとはこの時感じた。反権力であるような人なら、松山のようなことをすべきではないのか。まあ、通じないから諦めてはいるが…。
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