カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

やればできる人間になってはいけない理由

2016-03-29 | 感涙記

 今は体罰問題なんかで喧しくなっているので少し想像しづらくなっているかもしれないが、僕らの子供の頃にはいわゆる熱血先生というのがそれなりに居た。熱血先生モノのテレビドラマもたくさんあって、学校でも家庭でも両方で熱血先生だらけだった。なかなか騒々しいのだが、まさにそういう時代だったということがいえて、熱血先生が活躍しなくてはならないような土壌があったと思う。いわゆる学校には不良がいて、体育館裏とかテニスコートとか便所なんかにやたらにたむろしていて、なかなか恐ろしい風景だった。今だと沖縄とか茨城あたりじゃないとそういう人間は居ないのではないか。
 登下校には竹刀を持った先生が生徒の服装などを監視しており、本当の不良はそういうところは通ったりしないから捕まらないが、不良の目の有るような、というか、ちょっとした出来心というか、おしゃれのつもりではみ出すと、連れ出されて暴力(いや教育的指導)を振るわれるということがあった。僕は普通に大人しい子供だったが日常的に教師には暴力はふるわれており、カッターシャツが血だらけになるような毎日を送っていたわけだ。おふくろは血に濡れたシャツを洗いながら泣いていたものだ(これは少し嘘だが、半分は本当です)。
 普通の公立の学校は、まあそういうマッドマックスのような世界だったが、そういう先生の多くが、今度は先生同士の間では、基本的に不良連中をかばうのだった。これは昼の先生も夜のドラマの先生にも共通している現象で、どちらとも親和性のある考え方だったのかもしれない。というか今は僕は大人になったんで理由は分かるが、そういう先生方というのは本当にそういう不良に寄り添った理解者である自負があって、そうするとそういう立場で発言せざるを得なかったということが一番の理由だということである。そうして不良の味方をする先生は、孤立することなく、不当にその後も評価されるような風潮が世の中にあったのである。だからたいした能力が無い人でも、その後は出世した。まあだから彼らは単に合理的なだけだったのだろう。
 ところでそういう不良や出来の悪い生徒をかばう先生の口癖が「この子たちは、ちゃんとやればできる子たちなんです」というのが一番多かった。本人たちに向かっても、「お前らがやればできるのは、俺は知ってるんだぞ」というのだ。まあ、本気になれよ、という心情の吐露らしいが、きわめて当たり前といえば当たり前の言葉だなあ、とその当時から思っていたものだ。
 もちろんこれで不良たちが更生したり、やればできるという気持ちの転換を見せることは皆無だった。これもきわめて当然のことである。いわば言葉としては最悪の禁句だからである。
 もちろん「やればできる」は両方の耳に心地よい。しかしこれは人間のやる気を根本的に阻害する意味をストレートに含んでいる。やればできる人間は、当然できる人間であることを証明しなければならない。そうするとやればできる部分が本当であるなら、ちゃんとやらない理由をあれこれ探すことになるのだ。やればできるのだから、それがやれない状態に安定してさえいれば、自分がやればできる人であり続けられる訳だ。
 いろいろ忙しく不良らしく出歩いて、不良仲間の友情を深めて、カツアゲにいそしんだりゲームセンターに行ったり、路地でたばこを吸わなければならない。やればできることを本当にしてしまったら、それが結果として証明できるかどうかが分からなくなってしまう。ちゃんと勉強などをして結果を出せなかった場合、自分はやればできる人間ではなくなってしまう。やればできる人間は、やるべきことをできるだけ避ける選択をせざるを得なくなってしまうのだ。そうして実際には、本当に現実を知っている人間ほど、やればできる時期を逸してしまい、いまさら勉強しても、とても追いつけないレベルまで普通の生徒との差が出てしまう。追いつくまでの努力の量を冷静に判断すると、もう無理だということが分かる。もしくは本当にちょっとだけ努力のまねごとをするだけで、すぐに自分の無力さを悟るはずだ。そうすると彼らの合理的な判断として、諦めるという選択しか残されていない訳だ。
 要するにやればできる人間だからこそ、彼らの不良の地位というのは、不動のものとなる。彼らは熱血先生たちの犠牲者だった疑いが、あるのではなかろうか。
コメント
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