カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

無意味な死の報復   シャトーブリアンからの手紙

2016-03-16 | 映画

シャトーブリアンからの手紙/フォルカー・シュレンドルフ監督

 ナチス占領下のフランスの史実を描いた映画。監督の名前がドイツ人っぽいな、と思っていたら、あの「ブリキの太鼓」の監督さんらしい。鰻を食べるのに抵抗を持つようになる名画(そういう映画ではないが、多くの人がそうなってしまう恐ろしい映画だ)だが、反戦映画と反ドイツ的な意味あいの強い作品であったので、それなりに意味深な関係と考えていいかもしれない。もっともドイツ人だからこそ、ドイツのことを悪く描くフランス映画を作るという行為をしてしまうものかもしれないとは思う訳だが。日本にもそういう知識人とか文化人といわれる人は多いものだし。結局反戦モノというのは、そういう背景を大切にしたがる人がそれなりにいて、現代人に意味を問うという行為も含まれている。そうしてこの映画には、少なからずそういう匂いのするという感じは、断っておく必要がありそうだ。そんなに悪い映画ではないのだけれど…。
 統治下のフランスにおいてドイツの将校がフランス人の共産主義者に殺害される。これにヒトラーが激怒したとされ、報復として150人の人質の(おもに政治犯。要するに反ナチを殺す理由が出来たということだろう)処刑が命じられる(結局は48人だったようだが)。物語は、その処刑リストを作るということに、それなりの葛藤がありながらどうにもならなかったという話がつづられることになる。ドイツには反抗しつつも、占領下の事情があって従わざるを得ない。従うが、反抗心が無いように見せて、さらにその反抗心がフランス民衆に及ぼす影響も心配しながら行われていたのだということなのかもしれない。
 映画的に面白いと思ったのは、そういうどさくさに紛れて、同胞のフランス人こそが、自分の私情を挟んで、いわば気に入らない人間を平然とリストに加える作業をしていたらしいことも描いたことではなかろうか。他の抵抗は、史実的にはあったのかもしれないが、どうも現代的な視点もあるような感じもあって、ちょっといただけないものはあった。結局戦後に英雄化したのだろうけれど、当時にそのような英雄的なところが無い方が、さらに無残で無意味な方が、反戦モノとしては良かったとは思われる。でもまあそれでは現代人にはまったく意味が伝わらないだろうけれど。
 また、ドイツの兵士の中にも気の小さい者はいて、処刑するに当たっては、葛藤があったということも描かれている。これは当然だろうと思われるが、日本だったら相当殴られた上に、下手をすると殺されていた可能性もあるだろうとは思われた。ドイツ人にも良心があるということかもしれないが、そんなことはどの国の人でも当たり前だ。しかしそれが許されたかもしれないというのは、戦時下のヤクザ社会ではどうだったのだろうか。まだ精神病の扱いさえ不透明さがあるわけで、このような個人主義が、精神の救済の理由とされる西洋の思想のようなものも感じる。日本の過酷さとは、やはり別のものがあるのかもしれない。
 政治犯などの収容所の様子や、処刑する人間をリスト化する様子と、またその銃殺までを淡々と描いた作品であるが、基本的には政治的抵抗の意味のボタンのかけ違いが生んだ戦争の悲劇である。そのような人間の無意味な死があるからこそ、戦争が愚かしいという意味は少なからず伝わる。そうして時間は後戻りはしない。事実は事実として確定していて、過去を振り返る人間しか、そのことを考えることは出来ない。映画という記録は作り物だが、今生きている人間には意味のあるものだ。そういうことを考える上では、反戦ものを観るという人に、その意味の捉え方を問うということがなされる訳だ。人間はそういうものにも金を払って観るということが、僕には大変に興味深いのであった。
コメント
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