カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

割引の得が、時々嫌いだ

2016-03-17 | 境界線

 出張の時など晩飯の問題が時々ある。研修など、一人でないときが結構あるが、知らない街の店選びというのは、なんとなく面倒だ。
 近年劇的に変わったのは、やはりなんといってもネット情報だ。もうこれは当たり前になっていて、むしろ調べないで店を探す人の方が少なくなったのではないか。若い人は店の前でその店自体を検索したりしている。理由を聞くとクーポンなどの割引があるのだという。ネットで見た、またはその検索しているツールでクーポンが出たりするらしい。若い人じゃなくても、事前に調べて、店のクーポンを印刷して手に持っている人などもいる。割引にはいろいろあるが、例えば生ビールが一杯タダ、みたいなものから、そもそものコースの料金設定自体がガクンと下がるものもあるんだそうだ。一人頭2,000円くらいお得になったりすることもあるとか。もともとの料金設定が間違ってるんじゃないか、とも思うが、客を呼び込むシステムとして、すっかりネットクーポンというのは定着しているのかもしれない。
 多くの客を呼び込むにはいい手段だし、リピートしてくれる客も掴みたいということだろう。偉い人がちゃんと計算して割引しているだろうから、客がお得でも店でもちゃんと得になるということなんだろう。より多くの客を取り込んでより多くの利益を見込むのは、商売としても人間としても実にまっとうな生き方である。非難する筋合いのものではない。
 そういうことであるが、理屈としては、それは分かるんだが、しかしなんとなく複雑な心境にもなる。
 要するに、それでも知らない人や、気にしない人は、いわゆる正規の料金を払っているということが気になるらしい。その人たちは、クーポンで得をしている人の分も負担していることにならないだろうか。店側としては、空きをなくして効率化したり、さらに上乗せした客を取り込むという意識だろうけれど、一定の基礎になっている客層の、さらに無頓着なコアな客へは、配慮の必要が無いのだろうか。同じものを提供して、人によっては料金が違う。調べればそれは誰でも知りえることかもしれないが、そこは一旦無視して料金を取ることに、何の良心の呵責も感じないのだろうか。いや、感じたとしても、どうにもならない問題かもしれないが…。
 おんなじようなことは、例えば新聞の購読料の新規の割引や、電話の乗り換えなんかの低価格競争なんかでも感じることだ。多くのコアになっている人たちの金を使って、新たな客へ価格のサービスをする。もちろんその後に課金して元を取ろうという魂胆だろうけど、いつまでも得を求めて乗り換える客の方が得が続くというシステムに、なんとなくやりきれないもどかしさを覚える。それは本当のファンを裏切っているというか、知らない人を、もしくはそんなことをするのに抵抗のある人を、限りなく無視しているような感じかもしれない。
 モノの値段には、情報こそ価値があるという側面でもあるかもしれない。売る側と買う側の情報の非対称性で、その差額で商売が成り立つということも言えるわけだが、今や買う方だって売る側の情報がほとんどわかるようになっている。知らない人間を無視して金をとるという行為は、そうやって正当化されているということになるんだろうか。
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