カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

人間枯れてもいいのだ   シュガーマン・奇跡に愛された男

2015-06-23 | 映画

シュガーマン・奇跡に愛された男/マリク・ベンジェルール監督

 本国アメリカでは70年代に二枚のアルバムを出しながらまったく売れず、そのままシーンからは消えてしまったロドリゲスという歌手がいたのだが、時代を超えて南アフリカの反アパルトヘイトの活動などで彼の歌を象徴的に使われるようなことがあったことで、かの国ではたとえばストーンズなどのようなロックバンドなどよりはるかに有名な存在になっていた。もっとも人物ではなく誰もが知っている歌ということで。日本だと何だかよくわからんけど、泳げたいやき君とか踊れポンポコリンのような誰もが知っている大ヒット曲だということだろう。ところが実は本人はまだ生きていて、肉体労働をしながら生活をしていた。そこで南アフリカに連れてきてスタジアムを埋めつくす大コンサートを敢行する。まさに伝説の人が復活し、人々は大興奮してしまう訳だ。本人も多少の戸惑いは無いではないが、伝説の人だけの人ということでなくして、本当に偉大なシンガーとして健在だったのだ。しかし彼はその後お国に戻って、コンサートの収益金なんかはどこかの団体に寄付したりして、結局肉体労働者に戻って普通の生活をする、というお話だ。ほとんどネタバレだけど、ドキュメンタリーだし、知ってても面白いだろうからぜひ観て確かめて欲しい。
 そのように変なお話だが、事実のようだし力のある作品だ。ロドリゲスがアメリカで売れなかったらしいことは事実だが、本人はメキシコ系のようだし、確かに歌はいい感じだが、多少地味だ。才能を買ってくれたプロデューサーの目は確かだったからこそレコードを吹き込むことはできたが、時代の波としては、やはり何か合っていなかったのだろう。マイノリティというのは、そのような悲しさがあるということかもしれない。
 しかしながらそのような人の歌った歌だからこそ、抑圧されたアパルトヘイトのような状況に、実に絶妙に合うということが奇跡的に起こってしまうのである。そういう偶然と必然の運命的なドラマこそ、出来すぎのような作り物の物語を超える力があるということだろう。ただでさえ凄いことなんだが、実際の当人が、実に仙人のような凄い人で、欲がまったく感じられないじいさんになっている。単なるいい話を超えている。まさになんじゃこれは!というドキュメンタリー作品なのである。
 ということで面白いわけだが、まあ、人間不運が良かったのかもしれないということもそれなりにあるものである。埋もれた才能の多くはしかし、やはり発掘されることもなく埋もれたままのものの方が圧倒的に多数だろう。だからこそこういう話が生きてくるということであって、それに驕らない人格者のような人だったから良かったのかもしれないけれど、そのままドラッグにおぼれたりなんかしたらどうだったのかな、などとも考えた。多くの若いロックスターがそうだっただけのことだが、やはり時代に見捨てられたからこそ、自分を見失わなかった物語ともとらえることができるのではないか。人間枯れた成長も必要だということなのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする