カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

楽しむのはつらいことに勝つためだ

2015-06-09 | 感涙記

 スペイン人のテニス指導者が、日本の子供にテニスのコーチをするドキュメンタリーを見た。基本的に楽しんでプレーする工夫をする訳だが、その理由としては、テニスを続けてやっていくためには、楽しんでやった方が苦しみに耐えられるから。要するに長く練習に耐えられる精神力を作るためになるということかもしれない。恐らく日本の練習とは真逆の発想なのだが、これは大人にもためになる話ではないかと思った。
 テニスの練習ではたくさんのボールを使う。ボールを使い切ったら、皆で散らばってしまった玉ひろいをしなくてはならない。子供たちは蜘蛛の子を散らしたように走り回って素早くボールを集めようとする。恐らく日本人のコーチからは、ぐずぐずするな、とか、急げとか怒られながら、これまで玉集めをしていたのではないか。それなのにこのスペイン人コーチは、玉集めするときに「走るな」というのだ。それぞれに歩いて集めるように指示する。これに子供たちは面食らってしまって「おいおい、走るなだって…」というように、全員動揺して戸惑ってしまう。まったく訳が分からない。いったいこの人は何を言っているのだろう。
 真意としては、メリハリのようなことらしい。いつも集中してかえってその集中力を切らすより、テニスのゲームがそうであるように、長時間の戦いにおいても対応できるように、集中と弛緩をうまく利用して、精神力を鍛えるというか、そういう考え方を学ばせようとしているらしい。
 また、親に対しては、試合から帰ってきた子供たちに、勝ち負けの結果を最初に聞くなとお願いする。子供たちがどういう考えで試合に臨み、そうしてそれが上手くいったかどうかが大切で、ゲームの勝ち負けはあえて重要ではないという。きっぱりと結果はどうでもいいことと言い切るのだ。親たちはあんぐり、という感じ。試合に勝つために練習しているのではないのか。試合に勝つことはいいことではないのか。
 また、いわゆるチャンスボールというのがあって、確実に点を取りにいけるようなボールが来たら、今までなら確実に慎重に万全を期してミスをしない、という指導を受けていたようだ。まず、どのボールが自分にとってチャンスなのかという見極め方もあるが、その後自分がそうだと思うに至ったチャンスボールに対して、ミスをしていいから思い切りいくように指導する。これにはまた子供たちが目をぱちくり。もっともミスが許されない場面が、もっとも自分に自由がある場面なのだ。まったく真逆の教えと言っていいだろうが、その意味は確かに理解できるものではなかろうか。勝負というのは、自分が見つけるもので、そうして冒険して掴むものなのだ。
 他にもテクニック的にはいろいろあったが、変わっているというより、日本人というのを今一度考えさせられる思いだった。強い人間を育てるというのは、単純な厳しさなのではないのかもしれない。たった一週間のコーチで、本当にがらりと変わるものなのかは分からない。しかし、やはり子供たちは自発的に練習をしているように見えたし、楽しんでいる。きつい練習がつらくなくなったのだ。そうして何より、これを見ていた日本人の若いコーチがショックを受けているのがよく分かった。ある意味で一番価値観が崩されたのはこの人ではなかっただろうか。これまでもいい人だっただろうけれど、これまで以上にいい指導者になって欲しいものだ。
コメント
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