カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

放っておかない社会もあるらしい

2015-06-21 | 境界線

 日本は特に自殺者の多い国であるらしい。お隣の韓国もそうで、これらの国には文化的に自殺を選択する傾向があるとも言われる。旧共産国家の自殺も多らしいという。社会の閉塞感と自殺の選択は関係があると示唆される。
 自殺を選択する二大原因というのがあって、一つは病苦で、一つは経済的な理由である。日本や韓国は比較的国の経済力が高い方なので不思議な感じもするが、そういう中でのコントラストとして、経済的に立ち行かない個人に対して、何らかの支援の少ない国ではないかという見方もある。病苦ということについては当然精神科の患者がいて、これはさらに原因があるのではないかという気もする。
 さて、おおざっぱにはそういうことだが、当然ながら自殺率の低い国というのがある。統計がちゃんととられていなかったりして数値としての信用は無いにしろ、例えばスーダンでは自殺はほとんどないという。その理由としては、もちろんイスラム教国というのが自殺を禁じている背景もあるのだろうが(自爆テロは自殺じゃないかとは思うけど。ま、スーダンのイスラム教に対する偏見ですので無視してください)、自殺をしようにもできないということがあるらしい。たとえば死にたいと悩む人が居ても、道を歩けば知り合いばかりだし、一人になろうにもそういう時間は無い。食事を一人で取ることは無いし、住居も狭くて大家族が同居している。死を考えても実行するのが難しいし、一人で思い悩む時間が無いというのだ。
 それはそれで確かにそうかもしれないとは思わせられるのだが、例えば軍隊のような生活をしていると自殺者が減るのだろうか。特に戦時中に一人になるような機会は少なかろうけれど、果たして自殺者が減るのかというのはちょっと疑問だ。まあ、比較が特殊すぎるが。
 しかしながら核家族化というのは、西洋社会から始まっただろうにせよ、ほぼ都市生活者などには共通するものであろうし、移動の自由が許されている国であるならば、さらにそのような環境が進むことは避けようがないだろう。都市化だけの問題では無いにせよ、いつまでも家族が守られるような環境を保つには、やはり宗教や文化の背景がどうしても関係してくるのではあるまいか。さらに日本に還元して考えてみると、すでにスーダンのような環境に戻ることは無いだろう。要するに考えさせられるにせよ、ほとんど参考になるのかは疑問だ。
 そうではあるが、悩んでいる人を一人にしないとか、放っておかない環境というのは自殺予防になる可能性はあると思う。要は安易に孤独に陥らないということか。友達問題とも関係がありそうだし、実はいじめ問題とも通じるかもしれない。自殺は自分を殺す殺人である。人殺しに陥る苦悩をなくす努力というのは、やはり掘り下げて考えていくべき課題なのである。
コメント
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