カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

死後は医学部へ

2015-06-05 | culture

 医学部の学生の必修として、人体解剖がある。要するに医者の卵としては、必ず解剖を経験しなくてはならないのだそうだ。当然といえば当然なんだけれど、以前は困ったことに、この解剖をするための体が恒常的に不足していて、それが医学部の悩みだったらしい。
 ところが、である。そういう話は今は昔。現在は献体をする人がずいぶん増えて、どこの医学部でも解剖する体が余っている状態になっているんだとか。さらに献体数は増えていて、今度は医学部に設置している納骨堂が満杯になって、拡張を余儀なくされているのだという。こういうのは嬉しい悲鳴と言っていいのか分からないけれど、なかなかバランスとして困ったことではあるのかもしれない。
 一つには啓蒙が上手くいって、理解者が増えたというのはあるだろう。いろいろと考えられるが、文化的な抵抗感が弱まったり、現実的に偏見が取り除かれたりしたということかもしれない。
 そうしてもっとも大きいのは、死んだ後にも人々の役に立てるという思いの人が増えたということがあるだろう。大変に素晴らしいことだし、尊い考え方だと素直に思う。死んだ後も献身的な気持ちを持てるということが、現在生きている自分自身の満足感にもつながっていると考えるような人が増えているらしい。将来の医学の進歩に寄与でき、引いては知らない誰かの命を助けることのお手伝いができるということに繋がるということだ。それは間接的であるにせよ、間違った考えではない。
 しかしながらちょっと引っかかるのは、家族が居るらしいのに、納骨まで頼む人が多いということかもしれない。解説としては、大学などのちゃんとした機関で後々まで管理してくれることの安心感があるのだという。死後に家族を煩わせることもなく、心配が少ないということらしい。
 いい話と、ちょっと寂しいような話が混在しているような気がするが、生きている人間の考えていることは、やはり世相を映すということなのかもしれない。
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