スーパーで何割引きと書いてあるのを見るのは好ましいのだが、増量とかオマケというのにはあんまり食指が動かされない。まあ量が多くて助かるものもあるだろうけど、オマケというのはやはり余分だ。
飲料などには、増量と標準と少量の飲み物の値段が同じである場合がある。少ない量もサービスということが考えられるが、何となく釈然としない。容器を製造するなどのコストなんかもあるのかもしれないが、中身の製品の原価を考えると、量によって値段が違う方がまともという気がするためだろう。僕の力ではどうしようもないが、値段に変化を付けて欲しいという希望を持っている。
それというのも、こういう値段設定で売っているという事実を見てしまうと、増量で得をしている人の分のコストの負担を、レギュラーとかスモールのものを購入した人が負担しているような気分になるからだろうと思う。増量で得をする人の満足を、見ず知らずの、時にはこの差額に気がつかない購入者が負担することが、はたして公正だと言えるのだろうか。
並んで売られている場合、それは了解済みではないかという考えもあろうが、そのためにいくらか不平をのみこみながら購入している可能性は無いのだろうか。たくさん飲めない自分の体の能力について、恨めしく思ったりしないだろうか。
値段というのは情報格差でもある。情報を掴む能力のあるものが、勝者ということだ。チラシを子細に比較し、安い商品を買うことが出来た人が、高額で購入した人の負担を勝ち取ることができるということなんだろう。
それは分かるが、明らかにこのような量の差があるお得感というのは、やはり何となく気に食わない。今は少量飲みたいのだからそれで満足すべきだという理屈を、自分なりに説得しなくてはならない。かと言ってたくさん飲んでゲップしたくないのだから。
そうして結局、増量するような種類の飲料物は避けて購入したい、という選択をするようになってしまった。いちいちこの不公平感を味わいたくない、という気分になるらしい。いつも公平に量が変わらない飲み物というのが、僕にはなんだか好ましい。もちろんその単価自体が安くなることは、歓迎するだろうけど。