カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ハーレムと幸福感   殺意のキャンパス・刑事コロンボ

2013-06-01 | コロンボ

殺意のキャンパス・刑事コロンボ/ジム・フローリー監督

 設定の中にも謎解きの種が入っているのでどうかとも思うが、やはり画家の公然とした女性関係ハーレム状態という成り立ちが目を引く作品。倫理的にどうかというより、やはりバランスはあるが成り立っているということに、不思議さと疑問を同時に感じる人が多いのではなかろうか。一昔前の権力構造化においては可能である関係性が、自由な世の中であるアメリカ社会でも成立しうるのかというのは興味ある問題かもしれない。
 断わっておくが僕自身が複数の女性と暮らすことを理想としているからではない。特に性的関係が無いのならそれでもかまわないが、そういうことを伴うまま複数というのは正直言って嫌である。体の方はともかく(と見栄を張っておくが)精神の方がとても持ちそうにない。そんなことは自明過ぎて憧れる以前の問題である。
 しかし謎解きの大きなカギを握るのは、実は精神分析である。原作者が精神分析を勉強したことは間違いなさそうで、夢診断を映像化して謎解きに展開させる。結果的になるほど、と思うか、こじつけだと思うかは意見の分かれそうなところだが、犯人を追いつめる手法として効果的であろうことは理解できる。結果的に何故前妻の自由を束縛したがるかも理解が及ぶということになる。
 現在は大変に成功して金持ちになっているが、過去が暴露されるとそれが破滅するということなのではあろう。しかしそれでも後妻をもち、愛人を同時に抱えて暮らしもして行きたい。なるほどエゴだが、人間の素直な欲求に忠実に生きるモデルでもあるということだろう。そしてそれを支えているのは画家としての成功した自分であるということなのだろう。
 堅苦しいこと無しに面白い作品ではあるが、同時にしかし、この生活の中にあって、それぞれがそれぞれにつらいという感じもする。コロンボも買い犬に咬まれる訳だが、総体的な関係を無視して、自分自身の安定した幸福など無いという教訓でもあるのだろう。自由さの代償というのはそういうことなんではあるまいか。

 ところで犯人の後妻役のシーラ・ダネーズは、ピーター・フォークの奥さんなんだそうだ。他の作品でも出ているという。けっこうコロンボって家族ぐるみの作品だったんだね。
コメント
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