空海“秘蔵宝鑰”

2022-06-15 | 読書

 空海の「秘蔵宝鑰」を読んだ。
 読んだと言うより、字面に視線を走らせたと言った方がよさそうだ。
 それに、目を通したと言っても、加藤純隆・加藤精一氏による意訳である。
 さらに、頻出する仏教用語の意味が分からず、そこの理解は放棄しての通読である。
 この思想書のことは、二十代の頃から知っていて、何度も手にした。
 それは、宮坂宥勝氏の訳・解説の本だった。
 序文にある詩が好きで、繰り返し、折に触れて読んだ。
 しかし、その先は、読み始めてもすぐさま投げ出していた。
 その後、角川ソフィア文庫で、加藤純隆・加藤精一訳が出て入手した。
 コンパクトな文庫本で、持ち運び便利で、これなら読めるかもと思った。
 それも、もう十年以上前のことだ。
 時折、読み始めたが、すぐにストップとなっていた。
 今回は、どういうのか、この書の全体の構成がつかめた気がして通読となった。
 序文の後に、人の心の在りようが十の位階に分けられて記されている。
 それは、仏教がとらえる心の高みへと順次向かっていく。
 それぞれの位階を知るための仏典も仕分けされ示されている。
 位階の第一から第三までは、仏教以前の教えと説明されている。
 われわれは、通常、その第一のレベルに生き、あくせくしている。
 それに続き、心の平静を求めたり、神聖なるものにあこがれたりする。
 そして、第四以降は、仏教の教えとなる。
 その内容は、下手に触れると大きく間違えそうで、ここでやめておく。
 これまで、全体に目を通すことすら出来なかった「秘蔵宝鑰」に接することができた。
 とりあえず、それだけで、満足した。
 もし、空海が、ギリシャ哲学、魂の平安を求めたエピクロスなどを知っていたら、どのような位置づけをしたろうかなどと思った。


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