クルト・ヴァイル(1900-1950)の「三文オペラ」(1928)を聴く。
これは、ベルトルト・ブレヒトとの共同制作である。
ソング・オペラと言う体をなしている。
社会批判、皮肉、風刺のさまで、聴衆の共感を得たり、あれこれ考えさせたりする。
演奏は、ジャズ・バンドがやっているという風だね。
次のように、歌われる。
きれいに晴れた日曜日
浜辺に死体がころがってた
街角に消えていく奴がいる
そいつがご存知メキ・メッサー
全体に哀感がただよう。
わびしい暮らし。
金も色恋も。
《ジョン・モーセリ指揮/RIASベルリン・シンフォニエッタ他/LONDON》
これは、ベルトルト・ブレヒトとの共同制作である。
ソング・オペラと言う体をなしている。
社会批判、皮肉、風刺のさまで、聴衆の共感を得たり、あれこれ考えさせたりする。
演奏は、ジャズ・バンドがやっているという風だね。
次のように、歌われる。
きれいに晴れた日曜日
浜辺に死体がころがってた
街角に消えていく奴がいる
そいつがご存知メキ・メッサー
全体に哀感がただよう。
わびしい暮らし。
金も色恋も。
《ジョン・モーセリ指揮/RIASベルリン・シンフォニエッタ他/LONDON》
アルテュール・オネゲル(1892-1955)は、‘フランス6人組’のひとりであるが、スイス出身で、いささか異質。
オネゲルの劇的オラトリオ「火刑台上のジャンヌ=ダルク」(1934-35)を聴く。
魔女と決めつけられると「火刑」となるのである。
なんでもないのに魔女とレッテルを貼られるケースがあった。
中世ヨーロッパの歴史にきざまれた暗黒部分を思いだす。
さて、「火刑台上のジャンヌ=ダルク」。
そのシナリオは、ポール・クローデルが書いた。
「受難曲」である。
語りや歌詞が理解できないけれど、聴いているとドラマ性は充分感じる。
演奏や歌もとてもいいものと聞こえる。
《小沢征爾指揮/フランス国立管弦楽団他/Po》
オネゲルの劇的オラトリオ「火刑台上のジャンヌ=ダルク」(1934-35)を聴く。
魔女と決めつけられると「火刑」となるのである。
なんでもないのに魔女とレッテルを貼られるケースがあった。
中世ヨーロッパの歴史にきざまれた暗黒部分を思いだす。
さて、「火刑台上のジャンヌ=ダルク」。
そのシナリオは、ポール・クローデルが書いた。
「受難曲」である。
語りや歌詞が理解できないけれど、聴いているとドラマ性は充分感じる。
演奏や歌もとてもいいものと聞こえる。
《小沢征爾指揮/フランス国立管弦楽団他/Po》
アレクサンドル・ニコライエヴィチ・スクリャピン(1872-1915)も、20世紀の音楽家のひとりと言っていいだろうか。同世代に、ラヴェルやシェーンベルクがいる。
スクリャピンは、神智学を信奉し、神秘主義的世界観をもって、音楽を作ったとされる。
そう言うと、何か時代遅れ的な眼で見てしまうことになるが、その神秘主義と言うのは、音響物理学的側面があり、スクリャピンがやったことは、先進的であったとも評価されている。
最も知られている「交響曲第4番《法悦の詩》」を聴こうと思う。
これは、交響曲第3番の《神聖の詩》、第5番の《火の詩》との3部作となっている。
タイトルの法悦は、エクスタシーである。宗教的なエクスタシーと言うことであるが、その実際の現れは、性的エクスタシーと見分けが付きにくいことが多い。肉体的現象としては、同じものとも見られる。
気持ちが散っていては、エクスタシーは遠いかな。
ちくま新書で、菊地章太著「エクスタシーの神学」がある。
「キリスト教神秘主義の扉をひらく」との副題がついている。なかなか、いい本である。
《ストコフスキー指揮/Houston交響楽団/PANTHEON》
スクリャピンは、神智学を信奉し、神秘主義的世界観をもって、音楽を作ったとされる。
そう言うと、何か時代遅れ的な眼で見てしまうことになるが、その神秘主義と言うのは、音響物理学的側面があり、スクリャピンがやったことは、先進的であったとも評価されている。
最も知られている「交響曲第4番《法悦の詩》」を聴こうと思う。
これは、交響曲第3番の《神聖の詩》、第5番の《火の詩》との3部作となっている。
タイトルの法悦は、エクスタシーである。宗教的なエクスタシーと言うことであるが、その実際の現れは、性的エクスタシーと見分けが付きにくいことが多い。肉体的現象としては、同じものとも見られる。
気持ちが散っていては、エクスタシーは遠いかな。
ちくま新書で、菊地章太著「エクスタシーの神学」がある。
「キリスト教神秘主義の扉をひらく」との副題がついている。なかなか、いい本である。
《ストコフスキー指揮/Houston交響楽団/PANTHEON》
ヤニス・クセナキス(1922-2001)は、ギリシア人を両親に、ルーマニアで生まれている。
自分のことを、「マルキストでナショナリストであった」と語っている。
第二次世界大戦の折、ナチス・ドイツ軍に対するパルチザンの戦いで重傷を負う。左目は失明、頬に深い傷跡がのこる。
クセナキスは、作曲家であるが、建築家でもあった。音楽へのアプローチも理系の傾向が強く出ている。
「プサッファ(Psappha)」(1975)と言うパーカッション・ソロのための曲を聴く。
曲名のプサッファは、古代ギリシアの詩人サッフォーの古い言い方だとか。にわかに、曲への関心が高まるというもの。
聞くと、予測に反して、いい。折角、サッフォーなんだから、もう少し色っぽくてもいいのにと言いたいが、パーカッションと言うこと考えれば、贅沢か。充分だとも言える。
昔、聞いたときはどう感じたのだろうか。
パーカッションは、Gert Mortensen、レーベルは、BIS。
自分のことを、「マルキストでナショナリストであった」と語っている。
第二次世界大戦の折、ナチス・ドイツ軍に対するパルチザンの戦いで重傷を負う。左目は失明、頬に深い傷跡がのこる。
クセナキスは、作曲家であるが、建築家でもあった。音楽へのアプローチも理系の傾向が強く出ている。
「プサッファ(Psappha)」(1975)と言うパーカッション・ソロのための曲を聴く。
曲名のプサッファは、古代ギリシアの詩人サッフォーの古い言い方だとか。にわかに、曲への関心が高まるというもの。
聞くと、予測に反して、いい。折角、サッフォーなんだから、もう少し色っぽくてもいいのにと言いたいが、パーカッションと言うこと考えれば、贅沢か。充分だとも言える。
昔、聞いたときはどう感じたのだろうか。
パーカッションは、Gert Mortensen、レーベルは、BIS。