トーン・クラスター

2009-05-23 | 【断想】音楽
 ここのところ、クラシック音楽のことを取り上げている。
 それができる背景のひとつに、かつて、かなり集中的にクラシックを聴き、関係の書籍も読み、CDを集めたということがある。一日に一枚聴いても何年もかかるくらいだ。今後、大切な財産になるかも知れぬ。
 昨日は、スクリャービンの「法悦の詩」の他に、リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」、ストラヴィンスキーの「詩篇交響曲」などを聴いた。「ツァラトゥストラ」については、作曲家自身が、ニーチェの哲学を音楽化したのでなく、偉大なるニーチェを讃えるための音楽であると言っていたと思う。こういうことは、聴く前に知っていた方がいい。間違った思いこみで、音楽に接することがないように。
 今日は、ジェルジ・リゲティーの1961年の作品「アトモスフェール」を聴いた。現代音楽である。
 トーン・クラスターによるもので、映画「2001年宇宙の旅」のサウンドトラックでも使われている。トーン・クラスター(音の房)とは、1960年代の前衛音楽でひろまった技法。「オーケストラの最低音から最高音までの全部の音を半音刻みでいっぺんに鳴らす(吉松隆)」というものである。
 その音自体としては、興味深くもあり、「アトモスフェール」の音は、美しくもあるが、その音楽は、つまらない、楽しくない。なんらかのBGMとしてならいいが、個人的に何度も耳を傾けようとは思うことのない作品である。
 CDは、1988年録音のアバド指揮、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団によるもの。レーベルは、グラモフォン。

エクスタシーは法悦

2009-05-23 | 【断想】音楽
 アレクサンドル・ニコライエヴィチ・スクリヤピンの交響曲第4番を、後で記す2種のCDで聴いた。この曲は、「法悦の詩」という名がつけられている。この「法悦」と訳されているのは、「エクスタシー」の意である。
 古来、男女の交合のうちに宇宙の完全な姿を見いだすという宗教・思想がある。いわば、陰と陽の混合のうちに調和、悟りもあるというものかと思う。特段どうということのない考えである。そして、それは、単なる観念上のことでなく、肉体をともなってこそのもとされている。
 スクリヤピンは、神秘主義の作曲家と言われる。ただ、神秘主義という側面から、彼の思想を日本人が理解しようとすると、なんだか、遠回りになるように感じる。単純に、「エクスタシーは悟りの状態」くらいにとらえていいように思うが違うだろうか。
 スクリヤピンは、実際のセックスによるエクスタシーによって、そこに宗教的法悦に達するさまを、音楽で表現しようとしただけでないか。
 ストコフスキー指揮のど派手な演奏を聴いていると、そのことがよくわかる感じがする。欲情の昂揚、そして恍惚の境地、その先のエクスタシー、解放感、満たされた平安という流れが表現されているように思う。
 そして、20分ばかりの曲のなかで、何回かイッているのもわかる。まるで、怒濤の快進撃みたいな感じで。
 ただ、この曲を、スケベゴコロだけで聴くと、きっとガッカリすると思う。何故なら、聴く者をそそらせ、イカせるために作られてはいないからのように思える。エクスタシーにいたる肉体と精神の変化を、客観的に音楽で表現していると思われるからである。
 ①Leopold Stokowski/Houston Symphony Orchestra/1987/PANTHEON
 ②Daniel Barenboim/Orchestre de Paris/1988/ERATO