ここのところ、クラシック音楽のことを取り上げている。
それができる背景のひとつに、かつて、かなり集中的にクラシックを聴き、関係の書籍も読み、CDを集めたということがある。一日に一枚聴いても何年もかかるくらいだ。今後、大切な財産になるかも知れぬ。
昨日は、スクリャービンの「法悦の詩」の他に、リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」、ストラヴィンスキーの「詩篇交響曲」などを聴いた。「ツァラトゥストラ」については、作曲家自身が、ニーチェの哲学を音楽化したのでなく、偉大なるニーチェを讃えるための音楽であると言っていたと思う。こういうことは、聴く前に知っていた方がいい。間違った思いこみで、音楽に接することがないように。
今日は、ジェルジ・リゲティーの1961年の作品「アトモスフェール」を聴いた。現代音楽である。
トーン・クラスターによるもので、映画「2001年宇宙の旅」のサウンドトラックでも使われている。トーン・クラスター(音の房)とは、1960年代の前衛音楽でひろまった技法。「オーケストラの最低音から最高音までの全部の音を半音刻みでいっぺんに鳴らす(吉松隆)」というものである。
その音自体としては、興味深くもあり、「アトモスフェール」の音は、美しくもあるが、その音楽は、つまらない、楽しくない。なんらかのBGMとしてならいいが、個人的に何度も耳を傾けようとは思うことのない作品である。
CDは、1988年録音のアバド指揮、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団によるもの。レーベルは、グラモフォン。
それができる背景のひとつに、かつて、かなり集中的にクラシックを聴き、関係の書籍も読み、CDを集めたということがある。一日に一枚聴いても何年もかかるくらいだ。今後、大切な財産になるかも知れぬ。
昨日は、スクリャービンの「法悦の詩」の他に、リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」、ストラヴィンスキーの「詩篇交響曲」などを聴いた。「ツァラトゥストラ」については、作曲家自身が、ニーチェの哲学を音楽化したのでなく、偉大なるニーチェを讃えるための音楽であると言っていたと思う。こういうことは、聴く前に知っていた方がいい。間違った思いこみで、音楽に接することがないように。
今日は、ジェルジ・リゲティーの1961年の作品「アトモスフェール」を聴いた。現代音楽である。
トーン・クラスターによるもので、映画「2001年宇宙の旅」のサウンドトラックでも使われている。トーン・クラスター(音の房)とは、1960年代の前衛音楽でひろまった技法。「オーケストラの最低音から最高音までの全部の音を半音刻みでいっぺんに鳴らす(吉松隆)」というものである。
その音自体としては、興味深くもあり、「アトモスフェール」の音は、美しくもあるが、その音楽は、つまらない、楽しくない。なんらかのBGMとしてならいいが、個人的に何度も耳を傾けようとは思うことのない作品である。
CDは、1988年録音のアバド指揮、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団によるもの。レーベルは、グラモフォン。