生と死の賛歌

2009-05-21 | 【断想】音楽
 オリビエ・メシアンの「トゥーランガリア交響曲」を聴いた。
 小澤征爾指揮、トロント交響楽団、ピアノを弾くのはイヴォンヌ・ロリオという評価高き1967年録音のCD盤(BMGビクター)である。
 わたしが生まれた頃に作られた曲である。
 メシアンは、この曲のことを「愛の歌」と紹介している。
 われわれの生と死、存在そのものを喜ばしきものとしてとらえ、その賛歌としての音楽ということか。
 賛歌はいいが、その音の洪水にとりまかれていて、なんだか心落ち着かぬものがある。
 その音色、旋律、律動、速度・・・これらがかもし出すものが、トータルとして好みからはずれているのである。

黒い瞳のなさけなさ

2009-05-21 | 【断想】音楽
 事情あり、股の付け根あたりに錘りをのせている。
 よって、音楽を聴いたりする。
 寝転がって、マヌエル・デ・ファリャの「恋は魔術師」を聴いた。
 その曲が、1915年にマドリッドで初演されたときのオリジナル版でのものである。
 聴いたのは、1992年に録音されたもので、指揮はヘスス・ロペス=コボス。
 ローザンヌ室内管弦楽団の演奏で、歌い手は、アリシア・ナフェ他。
 一般に聴かれるのは、その後、バレエ音楽として改作されたもの。
 原曲は、1幕2場の舞台音楽で、ジプシー女の恋の物語。
 かつて、つれなく自分から離れていった男を、魔法の力もかりて取り戻すというものである。
 改作されたものは、もう少し、話に色艶、面白みが加わっている。
 次のようなストーリーだ。
  ヒロインは、若く美しいジプシー女。
  夫が死に、いまは未亡人。
  ある日、彼女は、いい男を見つけ好きになる。
  ところが、彼に近づこうとすると邪魔をするものがある。
  それは、嫉妬深い亡夫の幽霊であった。
  困った彼女は思い出す。
  あのひとは、嫉妬深いけど、浮気性でもあったと。
  それで、友人に頼みごとをする。
  「あなたのグラマラスなボディーで彼を誘惑して」
  この計略は見事に成功。
  亡夫の幽霊が友人に気をとられているすきに、彼と思いを遂げる。
  そして、幽霊は消えていった。
 なかなか、面白い。そこには、色恋への素直さ、健全なる精神と肉体が生き生きと描かれている。最近、日本では、「婚活」なる言葉が流行っているが、なんだか、生命力の退化が背景にあるように感じる。管理社会にスポイルされたというか。
 聴いたCDは、1993年に、日本コロンビアから発売されたものだが、しっかりした解説書がついている。歌詞、台詞の濱田滋郎訳がいい。いいなと思った箇所、書き写しておこう。
・海はなにも言っちゃいないよ いいことも 悪いことも。風に波があおられて鳴っているだけなのさ。
・おれがつかまえたいものは、それは川の小魚なんかじゃないのさ。おれは、どこかへなくした心をひとつ見つけたいのさ。
・いったん恋を知ってしまった黒いひとみのなさけなさ!

DANSE MACABRE

2009-05-21 | 【断想】音楽
 サン・サーンスの交響詩「死の舞踏」を手元にあったCDで聴く。
 ピエール・デルヴォー指揮、パリ管弦楽団、1971年録音のものである。
 また、「死」に連なるものをとりあげた。
 ただ、この曲には、「死とはなんぞや」と問うかのような重苦しい側面はない。
 曲にはストーリーがあって、次のようなものだ。
 夜が更けると、死神が墓のなかから抜け出してきてヴァイオリンを弾く。すると、その音にあわせてて、骸骨たちが、青白い光を放ちながら、踊る。骨と骨がカタカタ触れあう音もする。そして、夜が明けてくると、黄泉の世界の彼等の姿は消える。
 一種、ユーモラスな面もあって、深刻さとは無縁の曲だ。
 「死の舞踏」というタイトルは、いささか重いか。