はかなくてすぎにしかたをかぞふれば花に物思ふ春ぞへにける
ここのところまた、寝る前に、式子内親王の和歌集を開いている。
過ぎてしまった春
花を思った春
君の春は・・・
いにしえの歌人がのこしたものが、今、僕の心に響く。
そして、いろんな思いを誘う。
死んでしまった彼にも春の日はあったのだろう
年をとり、過ちをおかし、醜態をさらして、そして、死
住まいの近くの公園に池がある。
今、睡蓮の花が咲いている。
その池に、モリアオガエルが棲んでいる。
はじめ、その鳴き声を聞いて、何という蛙だろうかと思った。
「コココ、コロロ、コロロ、・・・・・」
こう言う感じで、あきらかによくいるヒキガエルやアマガエルではない。
声を録音して、ネットで聞ける蛙の声と照合した。
モリアオガエルかなと思った。
今日も鳴いているだろうかと出かけた日、
木の枝に泡状の卵塊を見つけた。
それに気づいて二日後に行くと、
卵塊が増えていた。
池のほとりの朴の木の結構高いところにまであった。
それで、昨日また、行ってみると、
卵塊の写真を撮っている人がいた。
わたしより、そこらのこと分かっているように見えた。
はっきりと、しっかりしたカメラで狙っていた。
「なんていう蛙ですかね」と声をかけると、
「モリアオガエルだよ」との返事。
やっぱりそうかと思った次第。
ここのところ、ちょくちょく行く公園の池に、蛙の声を聞く。
「コ、コ、コ、コロロ、コロロ、・・・」と言う感じで気になる。
よくいるヒキガエルやアマガエルとは、あきらかに違う。
声はしばしば聞くが、姿を見かけたことがない。
声を録音し、それも参考にして、調べようと思った。
鳴いていないことが何回かあって、今日ようやく録音した。
そして今日は、池のうえにのびた樹の枝に、泡状卵塊を見つけた。
池を見ると、無数のおたまじゃくしが泳いでいた。
家に帰り、録音した声とネット上にのっている蛙の声を聞き比べた。
それで得た結論は、「もしかして、モリアオガエル」と言うところ。
セネカの死。
セネカは、イエス・キリストと同時代の哲学者である。
西暦65年、皇帝ネロに自裁を命じられた。
はじめに、ナイフで腕の血管を切る。血だらけになるも、老齢と衰弱のため、流れ出る血の勢いは弱く、死はおとずれぬ。
そこで、腿と膝の血管も切る。
それでもダメで、からだじゅうをナイフで切り、血行をよくするため風呂に入る。
そして、次に、ソクラテスでおなじみの罪人に与えられる毒人参をあおる。
しかし、既に冷たくなっているからだに効き目がない。
それで、熱気立ちこめる蒸し風呂・発汗室に入る。
ようやく、死。
自殺について、何か読みたいと思った。
ストア派は、自殺を認めていることを思いだした。
とりあえず、セネカの死のことを復習。
以下、エピクロス学園の顔ぶれを中心に列挙した。学園には位階があった。
・エピクロス :BC341~BC271
導師
・イドメネウス :ランプサコスの最上層市民
裕福で園への財政支援
エピクロスの愛弟子
エピクロスの最後の手紙の宛先
妻はメトロドロスの妹
・レオンテウス :ランプサコスの最上層市民
イドメネウスに続く園への財政支援者
・テミスタ :レオンテウスノ妻
文筆家
・ミトレス :エピクロスの執事
・ヘルマルコス :ミュティレネの雄弁家
重要メンバー・準導師
第二代学頭
・ポリュアイノス:ランプサコス
エウドクソス派の数学者
重要メンバー・準導師
・メトロドロス :第一の重要メンバー・準導師
第二のエピクロス
ランプサコスの名門
・ネオクレス :エピクロスの兄弟(三人)
助導師
・カイレデモス :エピクロスの兄弟(三人)
助導師
・アリストブロス:エピクロスの兄弟(三人)
助導師
・ミュス :奴隷
学園業務管理
・レオンティオン:高級娼婦
メトロドロスの妻
・マンマリオン :女性
・ヘディア :女性
・エロティオン :女性
・ニキディオン :女性
・オイディオン :女性
・パイドリオン :女性
女奴隷たちの管理
奴隷解放
・メノイケウス :エピクロスの弟子
以下は、時代があとになるか。
ルクレチウス(ローマの詩人哲学者、「物の本質について」)、皇太后プロチナ、ポピリオス・テモチオス(:121年頃のエピクロス学派の学頭)、ヂオゲネス、ヂオゲニアノス
ルクレチウスの「物の本質について」は、以前読んだ。
その思想や生ある時のエピソードが書かれたもの。
万物流転のヘラクレイトス、勇敢な兵士であったソクラテス、犬儒学派の祖であるアンチステネス、樽のディオゲネス、女哲人のヒッパルキア、アタラクシアのエピクロス・・・・・と。
そして、今日はオリーブオイル搾り器で大儲けしたタリス。
このエピソード、確か自分のエッセイで使ったことある。
アリストテレスの「形而上学」で哲学史記述のトップを飾るのがタリスだそうだ。
渡し守よ、このわし
犬のディオゲネースを受け入れてくれい。
人生のありとあらゆる虚飾をば
容赦なく剥ぎ取つたこのわしをな。
渡し守は、この世とあの世の境目にて任をはたす方。
人の暮らしは、「虚飾」で成り立っているとも思うが。
「虚飾」があっての人間とも言えると思うけどな。
この「キュニコス」は、ギリシア語で、「犬のような」の意味をもつとのこと。
また、「シニカル」は、「キュニコス」に由来している。
キュニコス派の哲人たちは、物事に動じない精神をもつことを目指し、そのために、肉体的、精神的な鍛錬をしたという。世俗の欲望から解き放たれようとし、自足の暮らしの実践を旨とした。
その実際のさまは、乞食のような貧乏暮らし、まるで犬のような生活となる。
最近で言えば、みかけは、路上生活者と言ったところか。
それで、次のような詩でからかわれたりもする。
いにしえのルーキーリオスなる方の「犬儒派の哲学者に」と言う詩(沓掛良彦訳)。
冒頭のメネストラトスがどんな人だったかは、知らないのだが。
メネストラトスさんよ、
あんたが犬儒派で裸足で
おまけに寒さにふるえてるつてることは
ちつとも否定はしないがね、
でも、あんたがパンだのそのかけらなどをくすねたら、
この杖でどやしつけますぜ。してあんたは、
ただの犬つてことになるんだよ。
この派は、ソクラテスの弟子であったアンティスネスを祖とし、シノペのディオゲネス、テーバイのクラテス、ポリュステネスのビオン、メニッポス、女性のヒッパルキアらがいる。
ほととぎすの声をと唐鼠黐の匂い
ほととぎすの声は今年はじめてである。
6月7日、そんな時節なのだ。
ここのところ
古代ギリシャの哲人に関するものを
ちらちら読んでいる
いずれもイエス・キリストよりの前の人
おもしろい人に
犬儒学派のディオゲネス
そう言えば
中原中也の詩集「在りし日の歌」
そのなかの「秋日狂乱」に
ああ、誰か来て僕を助けて呉れ
ジオゲネスの頃には小鳥くらゐ啼いたらうが
けふびは雀も啼いてはをらぬ
少し、ディオゲネス関連をとりあげようか
「自己充足の最大の果実は自由である」(出隆・岩崎允胤訳)
満足を他人との比較の中にばかりに求めると、せせこましいことになる。
みみっちい競争にとらわれ、そこから逃れられなくなる。
自分自身の中で、満ち足りることができれば、ちまちました競争から自由になる。
見しこともみぬ行く末もかりそめのまくらにうかぶまぼろしのうち
浮世は、つまらない芝居小屋
なにもかも過ぎ去っていく
いまの苦しみだって、とりかえしのつかない幸せの日のことだって、
いつかは、時の流れの中に消えていく
忘れられて行くさ
少し辛抱しよう
みんなひとときのまぼろし
はかなき夢だから