銚子・角巳之・三代目

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地物・出戻り・流れ者(最終)

2007年09月11日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_1634 地物~と題して1週間ほど続けました。ちょうど銚子へお戻りになった先輩方から、介護とか医療の現実などを知らされ、.....と考え込んでいるうちに長くなってしまいました。そんな現実を話し合っていた時、海外旅行は楽しかった...、土産だ。という方に会い、周囲から罵声を浴びている姿に遭遇し、かつての自分の姿が重なりました。生々しい現実を隠し、綺麗な姿だけ見る、見せる。地域には何も無いと嘆き、“貴重な”意見を聞こうとしない(聞きたくない)、そういう田舎者(今の私もそうですが)の気持ちを知ってか知らずか、配慮に欠けた言動も....。上流の生産者は、最近のお客は何も知らねえ。バカヤローだ。下流の消費者は生産者って誤魔化してばかりいるのよね....。都会はこうだ、田舎は....(お互い根拠も無いのに....)それが問題に拍車を掛けているように思います。川の流れ、トレースの話題を掲載しました。自分の“立つ位置”によって見え方は異なります。上流・下流、それらを“繋ぐ”中流域...。水上に行ったのも“流域”“繋がり”“相互理解”....、そんな事を五感で感じてこようと思ったからです。この話題は、継続的に掲載します。長くなってしまうのでこの辺で区切ります。流れ者について、“男なら・銚子へ行くを・東慶寺”これまた以前掲載しました。地物と言うけど、もともと流れ者の街なんですよね。銚子は。流れ者と言う表現も悪意は全く有りませんので。念のため。流れ者が地域の“あるもの”を見付け、漁港を整備し醸造業の基礎を作り、海運業、人やモノの交差点としての地位を築いた。時代は変り、求められる“機能”は変わってきたのかもしれないけれど、2年間、銚子の街をくまなく歩き、色々な人と話し、食べ、笑ったり、泣いたり.....。の結果、まだまだ眠れる原石が沢山ある街なんだな~。と心から思うに至ります。下を向いて、責任転嫁に終始する人もいるのかもしれないけれど、私の周りには現状を嘆くだけではなくて、勇気を持って前を向き具体的な一歩を進めている人達がいます。こういう方々と一緒に日常を過ごしている事に幸せを感じております。ここ数日の写真、現在の利根川下流の姿です。上流を襲った台風の余波。上流からの土砂その他で、海の色が変わっております。今朝もまだ茶色...。“流域”を感じます。