銚子・角巳之・三代目

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夏の終り

2007年09月03日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_1600Img_1500 朝晩すっかり涼しくという表現が使われますが、銚子の朝晩は肌寒いくらいの日が続いております。海や山の風景も変わり、夏の喧騒がウソのような、何とも言えない物悲しさを感じます。ヒマワリもご覧のような状態ですし、セミの鳴き声も無くなって参りました。もののはかなさを表すもの、春の桜に夏のセミ...。長い間の苦労の末に、ようやく地上に出てきたと思ったら、たった一瞬の輝きとともに去っていく...。そんな短い時間だけれど、日本の四季に桜のない春、セミの鳴かない夏は想像すら出来ません。圧倒的な存在感で短い時間を生き抜く桜やセミの姿に日本人は何を見ているのでしょうか? あるいはそんなの知るか。と言われるかもしれませんが....。“冬の蝉(セミ)”という さだまさしさんの名曲が有ります。♪~時として人は・季節を違えて・生まれることがある・冬のセミのように....けれど短い時を・悲しみもせずに・鳴き尽くせたら誰も・ウソと呼びはしない...、せめて枯野を駆け巡る・夢と呼んでも・いつか時の流れを越えて・真実になるときが来る・ああ、命は命、夢は夢、何処で咲くかは風に訊け。確か、高杉晋作の生涯を描いたTVドラマ騎兵隊のテーマソングだったような気がします。28年の短い時間を颯爽と駆け抜けた晋作にピッタリの選曲かと。現代人は風“に”訊けではなくて、風“を”訊けなのかもしれません。小さくまとまって、安全地帯から評論せず、外に出て何か感じろ。かと。