吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

同期情報社会における情報への接し方

2008年07月21日 | Weblog
 久しぶりに休日に事務所に出た。ささいな不注意で故障させたパソコンの修復や昨日買った新しいパソコンのインストールや初期設定をしたりするためだ。わたしのパソコン先生の息子にも協力してもらった。

 ところが、わたしの大部分の作業は書類や本やレポートなどの”片付け”になった。ほとんどが、破棄してゴミ捨てする作業だ。はじめたら終わりがない仕事になった。もともとパソコンに収納されているデータ書類やレポートなど、よく重複保存していたものだと呆れた。丸一日がかりで書棚やキャビネットおよび書類箱などのレポートや書類および書物が半減した。

 「考える」ことを仕事の中心にしようと考える自分だが、データや情報を「集める」こと、ただ集めファイルする安心に偏っていたのかも知れない。とにかく、対象や記録にかかわるモノゴトを「集める」ことに精力したフンボルトや牧野富太郎を尊敬してはいるが、最近はガウス(数学者)やダーウィンのように、ひたすら「考える」ことから普遍や真理に迫る行動に憧れていた。しかし、どうも自分は、前者タイプなのかもしれない。

 帰納法と演繹法のような真理へのアプローチ法についての好みなのか、信長か秀吉かといった生き方的なものなのか、そんなことを思って作業した休日だったが、今日的情報社会においては、情報は否応なしに”なんでも”入ってくる。いらない情報を捨て、必要最小限の情報を”わかりやすく”検索しやすくデータベース化することがコツなのだと思う。

 情報は、集めすぎるとゴミになる。「考える」ために情報は必要だが、「考える」ことを邪魔するのも情報だ。もう一度、「考える」ことにシフトしたいと思った休日の書類ゴミ整理の一日でした。
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