吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

知識は邪魔。情報知識社会のかしこい生き方。

2007年09月02日 | Weblog
 もう高校受験の子がいる娘に「知識や博識を追うな」「無い知識がよく考える人」をつくるよ、というメールを昨日出した。ちょっとしたことについての意見を求められての返信だ。受験勉強をしている孫にも”こんな感じ”が伝わるといいなと思っている。

 大昔、ひとは木から紙(パルプ)を作ったり、ゴムの木からゴムを作ったり、葡萄からワインを作ったりした。火起しや日時計を創った。科学や物事の原理を知っていたからではない。ふだんの生活での不便や必要から、考え工夫し、いろいろ試作し、そして出来たものだろう。

 いろいろ知識を知っている人は、結果として頭の脳の面積シェアを知識が占めていく。”考える”(面積)部分が減っていく。あれもこれも知っていても、この知識が自分や社会をよりよくするために使われなければ意味がない。知ることより考えることが大事なのだ。

 教育の再生(?)も、いまの知識教育を少し知力教育方向にシフトしてほしい。考えることや考える方法を教えることに主眼を置いてほしい。入学試験や資格試験で”人”が決まるような風潮や社会をつくる「もの知り」○×教育を止めてほしい。法律や規制およびマニュアルだけが基準になる社会を考え直したい。

 何もしらないことは、人をして無から考えなければ”何も解決できない”ことにしてしまう。知らないことで”考える”ようになると思う。情報や知識が日々増える世の中が情報社会なら、情報を最小限にする生き方が”考える”それにつながると思っています。
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2 コメント

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知識と知恵 (sugito36)
2007-09-02 20:56:17
知識偏重ではよくない。人間は考える葦であり、考えることを通して見えないものが見えてくる。判断ができ分析もできる。そして、向かうべき方策が浮かんでくる。知恵の領域ではないでしょうか。考えなくてはいかようにもならない。そう思うのですが。
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サンクスレター (K.Yoshizawa)
2007-09-03 07:11:58
門外が厚顔をかえりみず教育のことに所見してしまいました。恐縮です。これからは知識体制社会だとトフラーが言っていることにおこがましくも少し異見しました。ここの知識はかなり情報に近く、あなたのいう知恵が知識に近いものですから、思考というか”考える”ということには、仮説構築力、分析力、検証力と
試行力まで含めています。
世の中、会話や議論にあたり”知っていること”を並べて”自分の思考過程を言わず”自分が意見をいう何かに参加していると錯覚している人々が多いものですから、ちょっと意見してみました。
これだけ情報化した世の中で、博識するな 無ベースで考えよといっても、意が伝わるとは思いませんが、少々勇み足したようです。後日また。(KY)
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