アントニオ猪木さんが亡くなってしまった。ものすごくショックだ。
難病と闘っていると聞いてはいたけれど、
それでも猪木が死ぬわけがない!くらいに思っていた。
子供の頃からの偉大なアイコンがまたひとつ消えてしまった。
子供の頃からの偉大なアイコンがまたひとつ消えてしまった。
もう僕らもそういう年齢なんだよなあ…。
同世代には多いと思うけれど、80年代黄金期の「ワールドプロレスリング」を、
テレビにかじりついて見ていた僕にとって、猪木は本物のスーパースターだった。
クラスの文集の「将来の夢」には、
毎年「プロレスラーか阪神の選手、もしくは仕事人」と書くほどだった。
テレビにかじりついて見ていた僕にとって、猪木は本物のスーパースターだった。
クラスの文集の「将来の夢」には、
毎年「プロレスラーか阪神の選手、もしくは仕事人」と書くほどだった。
1987年の1月末、小6の冬のこと。
当時、大阪に住んでいた僕が、
東京で行われる第一志望校の入試に向かうため乗っていた新幹線の中で、
偶然にも猪木さんをお見かけしたことがある。
勇気を振り絞ってサインをお願いしたところ、こころよく応じて下さったばかりか、
受験生と聞いて笑顔で握手・激励してくださった。
幸か不幸か闘魂ビンタはまだなかった。
ものすごく大きくてゴツくて温かい手だった。
ものすごく大きくてゴツくて温かい手だった。
すっかり感激して、入試も絶対うまくいくような気になった。
果たして、新たな道は拓けた。
いまやとても大切な思い出だ。
願わくは、あのときのお礼を直接お伝えしたかったけれど。
願わくは、あのときのお礼を直接お伝えしたかったけれど。