振り返ってみて僕の半生は、
つくづく「同調圧力」との闘いだったなあ、と思う。
「みんな一緒でなければならない」や
「決められた通りにやらねばならない」がとにかくキライで、
それこそ箸の持ち方から始まって、漢字の筆順も、服装も、
「型」を強制されるものにはことごとく抗ってきた。
特段、僕のチョイスが個性的だったとは思えないが、
とにかく自分で納得できないものはイヤだった、ただそれだけ。
だからたとえみんなと同じであっても、自分が納得して受け容れていれば、
わざわざ服装自由の学校に通って学ラン着てたし、
バイクは王道中の王道、CB400だし(笑)、
自分だけが特別であることにはこだわってなかった。
そして僕は、自分については徹底してこだわるくせに、
他人についてはまったくと言っていいほどそれがない。
僕の嫌いなものを好きであったとしても、気にならない。
僕の好きなものをキライであったとしても、意に介さない。
同じものを好きになって欲しいとか、嫌って欲しいとか、まったく思わない。
人に何かを押しつけられるのが死ぬほど嫌いな僕にとって、
自分がそれを人にするのは堪えられないことだからだ。
だからどれだけ破天荒でも、非常識でも、不道徳でも、
僕との関係性が良好でさえあれば、僕はその人を否定しない。
例えば僕は宗教や占いが大嫌いだが、
たとえ親しい友人が何らかの宗教の信者であっても、
僕を勧誘してこない限りは、尊重するし、否定しない。
いったん僕との関係が構築されたならば、何でもありだ。
さらに言えば、人種・学歴・家柄・職業・収入などで人を判断したり、
選り好みしたり決めつけたりするのは、虫酸が走るほどキライだから、
これほど気難しい生き方をしていながら、
他人には意外なほど寛容であるかも知れない。
…というより、他人には関心がないだけなのかも知れない。
一般的に人や物事を判断する基準とされているものに、
ただのっかるのがイヤなんだろうと思う。
どこまでも、自分自身がそれをどう思うか、どう感じるか、
一貫しているものも特に置いていないし、その場その場で判断しているから、
前後で矛盾していることも多いだろうけれど、
とにかく自分次第。
殺人犯だとか薬物中毒だとか、
どんなに世間で後ろ指を指されるようなことであっても、
有名人だとかノーベル賞だとか、
どんなに世間で揺るぎない評価を得ている人であっても、
おそらく僕の価値判断には影響しない。
僕がいいと思ったらいいだろうし、ダメだと思ったらダメ。
どーもそんなところがある。
僕のこの傾向を言い表す言葉を探していたのだが、
最近「自意識過剰」という表現に行き着いた。
辿り着いてみれば至って平凡なところなのだが。
ナルシスト、というのとは少しずれる。
自己愛はそんなに強くない。
むしろ否定的だ。
でも、自分はこうありたいという意識が強すぎて、
現実の自分を受け容れられてないのだとしたら、
それはやはり濃い自己愛のひとつなのかもしれないし。
もうちょっと書けるような気もするけれど、
不用意にさらけ出してしまう恐れも強いので、
この辺でやめとくの巻(笑)。
つくづく「同調圧力」との闘いだったなあ、と思う。
「みんな一緒でなければならない」や
「決められた通りにやらねばならない」がとにかくキライで、
それこそ箸の持ち方から始まって、漢字の筆順も、服装も、
「型」を強制されるものにはことごとく抗ってきた。
特段、僕のチョイスが個性的だったとは思えないが、
とにかく自分で納得できないものはイヤだった、ただそれだけ。
だからたとえみんなと同じであっても、自分が納得して受け容れていれば、
わざわざ服装自由の学校に通って学ラン着てたし、
バイクは王道中の王道、CB400だし(笑)、
自分だけが特別であることにはこだわってなかった。
そして僕は、自分については徹底してこだわるくせに、
他人についてはまったくと言っていいほどそれがない。
僕の嫌いなものを好きであったとしても、気にならない。
僕の好きなものをキライであったとしても、意に介さない。
同じものを好きになって欲しいとか、嫌って欲しいとか、まったく思わない。
人に何かを押しつけられるのが死ぬほど嫌いな僕にとって、
自分がそれを人にするのは堪えられないことだからだ。
だからどれだけ破天荒でも、非常識でも、不道徳でも、
僕との関係性が良好でさえあれば、僕はその人を否定しない。
例えば僕は宗教や占いが大嫌いだが、
たとえ親しい友人が何らかの宗教の信者であっても、
僕を勧誘してこない限りは、尊重するし、否定しない。
いったん僕との関係が構築されたならば、何でもありだ。
さらに言えば、人種・学歴・家柄・職業・収入などで人を判断したり、
選り好みしたり決めつけたりするのは、虫酸が走るほどキライだから、
これほど気難しい生き方をしていながら、
他人には意外なほど寛容であるかも知れない。
…というより、他人には関心がないだけなのかも知れない。
一般的に人や物事を判断する基準とされているものに、
ただのっかるのがイヤなんだろうと思う。
どこまでも、自分自身がそれをどう思うか、どう感じるか、
一貫しているものも特に置いていないし、その場その場で判断しているから、
前後で矛盾していることも多いだろうけれど、
とにかく自分次第。
殺人犯だとか薬物中毒だとか、
どんなに世間で後ろ指を指されるようなことであっても、
有名人だとかノーベル賞だとか、
どんなに世間で揺るぎない評価を得ている人であっても、
おそらく僕の価値判断には影響しない。
僕がいいと思ったらいいだろうし、ダメだと思ったらダメ。
どーもそんなところがある。
僕のこの傾向を言い表す言葉を探していたのだが、
最近「自意識過剰」という表現に行き着いた。
辿り着いてみれば至って平凡なところなのだが。
ナルシスト、というのとは少しずれる。
自己愛はそんなに強くない。
むしろ否定的だ。
でも、自分はこうありたいという意識が強すぎて、
現実の自分を受け容れられてないのだとしたら、
それはやはり濃い自己愛のひとつなのかもしれないし。
もうちょっと書けるような気もするけれど、
不用意にさらけ出してしまう恐れも強いので、
この辺でやめとくの巻(笑)。