いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

雑感

2011-10-09 00:10:07 | 超・いぶたろう日記
「民主主義」や「言論の自由」は(日本にそんなものないけれど)、
遣う人が遣えばこれほど陳腐な言葉もない。
憲法なんか持ち出したところで、実社会と噛み合っていなければ机上の空論だ。
「家から駅まで何分かかるか」を考えるとき、
相対性理論を持ち出して厳密には質量が云々、
とやりだすことに何の意味もないのと同様に。

ともかく、情報だけは溢れかえり、たやすくアクセス出来る時代だ。
本質的な理解に乏しくとも、誰でも知ったかぶりくらいは出来る。
そして平等が社会の建前だから、発言権は等しく認められ、
失うものが何もない人ほど、何でも言える。

そんな中で自分の信じる「知的優位」を絶対視する人というのがどこにでも居て、
自分しか納得していない暴論を振りかざし、
異論反論はすべて否定し、相手の理解力のなさと置き換え、
あまつさえ知的に劣るとまで言い放つ。
そんなのは珍しい光景でもないけれど、
まあ、どこでもふつう相手にはしない。
すると誰にも相手にされないことで孤高を気取るしかなくなり、
誇大妄想をますます膨らませてゆく。
自分の信じるところの「論理」を武器とし、鎧とする。
誰もその本当の質を測ってはくれないから、決して磨かれることはない。
理解できない場合はその者に原因があるという都合のいい帰結は、
努力して他者を説得するということを前提としていない、
安易でお手軽で身勝手な論理しか生まない。
ネットにあふれかえる、それだ。

しかし、真の論理の場、
たえず磨き抜かれた戦場にあっては、
そんなメッキは簡単にはがれ落ちる。
野獣を前にしたぬいぐるみのように、
本当の知の巨人を前にしたときの偽物はみじめだ。
自分なりに研ぎ澄ませたつもりで居た牙が、
まるで歯が立たず、ぽろぽろとこぼれていく様は、
痛快を通り越して哀れですらある。
恵んで貰ったエサを大事に抱え、とぼとぼと洞穴へ引き返すしかなくなるだろう。

そんな人たちは、
きっと生まれ変わるまで、変われないのだろう。
同情の余地はないが、気の毒なまでの孤独だ。
つくづく、孤独は進歩を生まない。
退歩あるのみだ。

それにも気づけずに朽ちてゆく人生なんて、僕はまっぴらだ。
優秀な頭脳、完璧な論理、そんな自己満足なんかどうでもいい。
僕はただの屁理屈言いで、誰の上でも下でもないし、
そんなことにそもそも興味はない。
いつでもふざけながら、こいつバカだなくらいに思われながら、
家族や友達と仲良く生きていけた方が千兆倍くらいイイに決まってる。

あ、誰のことでもないよ。
僕は孤独でなくて幸せだな、というお話です。
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