朝、難産。
その後、予定の関節鏡手術。
4歳の競走馬で球節と腕節を手術した。
関節の外にも骨増勢があり、変形性関節症DJDの様相を呈していた。
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実はこの競走馬は、この約1年前にも同じ関節を手術している。
その後、5戦1勝。
同じ関節の中でまた骨折した。
それに、関節の外まで骨増勢がおきている。
関節鏡手術で関節の中の骨片を摘出し、
傷んだ軟骨や血行を失った骨を削ることはできるが、関節の外の骨膜や贅骨や骨棘まではどうしようもない。
また、関節の中の骨膜や骨棘も削ってもまた出てくる。
ときには、手術前以上に。
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前回の手術のあと、5回出走してまた再発してしまったのだし、前回の手術のあとは1勝しかしていない。
「もうあきらめた方が良いと思う」と話したのだが、オーナーのたっての希望で再度手術することになった。
その後・・・・・約2年の間に24戦し8勝した。
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Degenerative Joint Disease DJD という。
「変形性関節症」と訳されることが多いが、degenerative とは変形というより退行性という意味ではないだろうか。
Osteoarthritis 骨関節症とも言う。
これは、余計な骨膜や骨増勢や骨棘ができてくるからだろうか。
いずれにしても、こうなるともう完治することはなく、あとはだましだましやっていくしかない。
しかし、中には外からの見た目や、x線像がひどいのに、跛行や熱感や痛みを示さずに競走を続け、競走成績をあげる馬がいる。
手術した方が不思議がっていてはいけないのだが、変形性関節症DJDとはそういう病態なのだろう。
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薩摩士族として西郷と運命をともにした者たちだけではなく、大久保利通や、著者が舞台回し役として使おうとしたと思われる(それが正しいのなら失敗しているが)川路利良も死ぬ。
武士の時代、封建制社会、規範としての士道、いろいろなものが実際にはすでに終わっていた。
しかし、残照のごとく、かえって色あざやかに、ほんとうの終焉を迎えたのが明治十年だったのかもしれない。
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