真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「浴衣教師 保健室の愉しみ」(2007/製作:サカエ企画/提供:Xces Film/監督:新田栄/脚本:岡輝男/企画:亀井戸粋人/撮影:千葉幸男/照明:高原賢一/編集:酒井正次/助監督:小川隆史/音楽:レインボーサウンド/監督助手:北村隆/撮影助手:池宮直弘/選曲効果:梅沢身知子/製作進行:阿佐ヶ谷兄弟舎/出演:香野みか・杉原みさお・佐々木基子・高見和正・岡田智宏・久須美欽一・丘尚輝)。ところで当時の封切りは七月。
 浴衣を着た高校時代の近藤みちる(香野みか/但しアフレコは佐々木基子の二役)と、色男の体育教師・等々力吾郎(岡田)の、保健室での淫行。切なくも綺麗な思ひ出の如き語り口ではあるものの、冷静にならずともこの人ら箆棒なこと仕出かしてるよな。浴衣姿の女子高生が保健室に居る時点で、十二分にアメージングだ。何年後なのか現在、母校の校医となつたみちるは、道端に花を供へる。腹痛を覚え保健室に駆け込んだ高三の中島明(高見)は仰天する、麗しいのか否かは兎も角伝統なのか、授業時間中の保健室で、みちると美術教師の里見浩一(丘)が例によつてセックスしてゐたのだ。オールドもここは明確に華麗に通り越したクラシカル・ミスの数学教師・菊地恭子(杉原)の授業に一旦戻りつつ、目撃したばかりのみちると里見の情事が、明の脳裏からは離れない。それは確かに離れないであらうな、無理からぬ。そのまゝ寝落ち盗み見のお仕置きだとみちるに尺八で抜かれる淫夢に、あまつさへ明は夢精してしまふ。どいつもこいつも、だから授業中なんだぞ。ここの高校の関係者は、リミッターをトッ外し過ぎだ。慌てついでに立ち上がつた明は、罰としてバケツを持つて廊下に立たされる。端々はポップなのだけれど、最終的にはアナーキーな一作である、後述する。
 佐々木基子は、一切登場しない夫、即ち明の父とは死別後、女手ひとつで息子を育て上げて来た母・直子。久須美欽一は、あれやこれやにくたびれて塾をサボッた明が、平素よりは早目に帰宅したところ、家で直子と懇ろになつてゐた寒川恒彦。時期的に甚だ微妙なのが、顔色が頗る悪く見えたのが、プロジェク太の塩梅によるに過ぎないものなのかどうかは判別しかねた。菊池先生の授業中、急に立ち上がつた明を怪訝さうに振り返る男子生徒役で、もう二名見切れる、若いスタッフの何れかであらう。
 一応強ひて掻い摘んでみると、哀しい過去を持つ女校医の色んな手解きで、少年が大人への扉を開ける。とでもいふ趣向の物語にならうところではあるのだが、兎にも角にも、それどころではない。この別の意味での問題作の反決戦兵器、あるいは新田栄が禁じられるべき太古より召喚した破壊神は、誰あらう杉原みさお。・・・・すg、杉原みさお!?jmdbのデータによる出演作は1997年で止まつてをり、現に新作ではとんと見かけた覚えもない杉原みさおの名前を、小屋に向かふ事前予習をしてゐて出演者の中に見つけた際には正直我が目を疑つた。幸か不幸か―答へは自ずと明らかなである―何かの間違ひではなく実際に姿を現した杉原みさおは、声は昔と変らぬ、今でいへばアニメ声ではあれ、何といふか、下手に直截にいふのも筆を憚れるゆゑ側面から攻めると、新東宝からエクセスに越境しての、今作は実に十二年ぶりともなる「エロをばさま」シリーズ第四弾なのか?当時から、首から下はまあ綺麗な体をしてゐる反面、首から上はよくよく見てみれば日比野達朗に似てゐるやうな人でもあつたが、十年の歳月といふ奴は、斯くも残酷なものなのか。だから新田栄よ、観客はピンク映画に、時の流れの無常といふか非情さに直面させられるやうな体験なんぞ求めてゐないから。正直出す方も出す方なら、出る方も出る方だ。又、恭子の濡れ場といふのが、火に油を注ぐの斜め上を行く殺意すら感じさせかねない、映画を観てゐるだけなのに物理的衝撃さへ覚えかねない滅茶苦茶なシークエンス。グラグラと眩惑させられ、私は目を覆ひながら頭を抱へた、お前には腕が四本あるのか。保健室での一件に関して、一旦詰め寄つてはみたものの清々しく開き直られた里見を、それならばオッカナイ菊池先生に懲らしめて貰はうと、明は放課後の校内に恭子の姿を探す。すると今度は教室にて、平素は高圧的な恭子が、被虐資質丸出しのマゾ隷奴として里見に責められてゐる衝撃も通り越した惨劇の現場に出くはす。未だだ、未だこの破壊力は、三段跳びのホップに過ぎない。これでホップなのかよ、映画は既に壊滅してゐるといふのに。里見は恭子の締まりも失ひかけた観音様に張形を捻じ込むと、落とせば男子便所に素裸で放り込むぞなどと脅かす。いやだから、それ男子生徒の側から阿鼻叫喚だから。恭子も恭子で素直に落とすな、堪へろよ。里見もそこから更にネチネチ畳みかけるな、どうして絡みに凄惨さを感じなければならないのだ。ここでも依然ステップ、一体この映画は何処まで行くのか、新田栄は何をそんなに壊したいのか。第三者の気配を感じた明が教室の後方に目を移すと、何とそこではみちるが二人のプレイを見ながら自慰に耽り、挙句狂乱の3Pに雪崩れ込んでのける。正しく、狂つて乱れてゐる。怒涛の木端微塵に、岡輝男(=丘尚輝)が自ら止めを刺す。“教師のクラブ活動”だと里見はテニスラケットを取り出すと、恭子とみちるの尻を打ちつける。新田栄と岡輝男は、単なるルーチンワーク量産コンビには最早止まらないのではないか。この人達は天才でなければ、映画の神が存在するならばあるいはその対極に存するであらう、きつと悪魔に違ひないとさへ思へた。
 何気に憧れてもゐたのに、校内での破廉恥に明け暮れるみちる。フリーダム過ぎる性を悪びれるでなく謳歌する憎々しい里見に、八年遅れの七の月に猛然と飛び込んで来た恐怖の女王たる菊池女史。自分がゐない隙に何時の間にか作つてゐた男を家に連れ込む母親と、その間男。童貞の明は、「大人なんて、みんな不潔だ!」と臍を曲げる。昭和の時代なら兎も角、今時その旧態依然と類型的なプロットも如何なものかといふ思ひも強いが、繰り返すがとうの昔にそれどころではないので、ここは観念して通り過ぎる。浴衣も絡めた、恋する人を喪つたみちるのバックボーンを通して、夏の花火といふ本来ならば情緒も伴ふ筈のギミックも持ち出した上で、「大人つて、寂しい生き物なの」、「だからそれを紛はせようとして、幾つもの顔を持つの」とかいふみちるの言葉と当然付随する肉体とに、明は曲げた臍を改める。といふ方便の吟味をさて措くと展開自体のそれはそれとしての定番さは確かに酌めるが、明が大人への階段を上つた、といふよりは、単に年上女に誑し込まれた勢ひで心を変へただけでもあるまいか、ともいふ以前に。ある意味無敵最強の杉原みさおの甚大な破壊力にすつかり振り切られ、やゝもすると忘れがちになりかねないが、実は主演女優のヒット・ポイントから決して高くはないのだ。若いのかさうでもないのか甚だ微妙で、見目麗しくない平板なオカメ顔の香野みかに関してグーグル先生の教へを請ふてみたところ、翌年にデートクラブを装つた詐欺容疑で逮捕された、などといふ事件が出て来た。事の是非はあへてひとまづ棚上げするにしても、強力に等閑視能はないのが、記事中に香野みかの年齢36歳。

 ・・・・何?

 改めていふまでもなく、十年以上のキャリアを誇る佐々木基子含めて、女優部三本柱の合計年齢が百ぢや全然きかないぞ。至るところに火薬が仕込んである、まるで全身凶器、004か百鬼丸かといはんばかりの全篇凶器映画だ。一応オーラスには、みちると明、晴れて息子の公認を受けた直子と寒川、そして御丁寧にも恭子と里見まで。三組とも漏らすことなく目出度く関係を成就させてはみせるのだが、そんな、色眼鏡を外して見ると意外に堅実な新田栄の職業作家としての良心も、この期には硝煙の彼方に遠く霞む始末。そもそも、着て出て来るのがアレといふかナニな人なので、折角看板を偽らない浴衣属性も、欠片も満足には通らない。映画そのものが暴力といふ意味での、暴力的な一作である。

 とはいへ、何が重ねて恐ろしいかといつて、新田栄は2008年にも更に、「国語美教師 肉厚のご奉仕」(二月公開/主演:永井れいか)に於いて再びみさお神を召喚してゐる。未見ではあるのだが、一度踏んだので、もうこの地雷を進んで踏みに行くつもりは勿論ない。


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