真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「聖乱シスター もれちやふ淫水」(2010/製作:ナベシネマ/提供:オーピー映画株式会社/監督:渡邊元嗣/脚本:山崎浩治/撮影:飯岡聖英/照明:小川満/編集:酒井正次/助監督:永井卓爾/監督助手:田辺悠樹/撮影助手:宇野寛之・野口喬/照明助手:八木徹/編集助手:鷹野朋子/スチール:津田一郎/タイミング:安斎公一/効果:梅沢身知子/録音:シネ・キャビン/現像:東映ラボ・テック/協賛:ウィズコレクション/出演:夏川亜咲・一色百音・真田幹也・吉岡睦雄・なかみつせいじ・藍山みなみ)。
 イメージクラブ「懺悔室」での、シスターに扮したイメクラ嬢・小西真央(夏川)と、迷へる子羊役の雇はれ店長・大江克也(吉岡)のプレイ。夏川亜咲がL字に開いた人差し指と親指を振り回しながら、決め台詞を叩き込む度にSEをキュインキュイン鳴らしてみせる無防備なポップ・センスは、何時も通りの渡邊元嗣、微笑ましくも頼もしいぜ。悪魔を吸ひ出すだとかで尺八を一吹き嗜んだ真央は、圧倒的な回復度で再び我に撃つ用意ありな克也を看て取るや、「まだ悪魔がゐる!」と今度は騎乗位へと華麗に移行。どうでもいいのかよかないのかは兎も角、あんたらこんな映画撮つててどうなつても知らんからな。といふか、時代が時代ならばバチカンに小屋ごと殲滅されかねない勢ひだ。キナ臭ささへ漂ふ重大なリスクに関しては気がつかないプリテンドで先に進むと、店長が店の娘と、どういふ経緯で遊んでゐるのかはまるで不明なまゝスッキリ楽しんだ克也は事後、手の平を返すかのやうに真央に馘を宣告する。真央が「懺悔室」の社長と関係を持つたことが、社長夫人(夫妻は共に全く登場せず)に発覚したからだといふのだ。寮も追ひ出され、馬鹿みたいに短い丈の修道服で画期的な脚の長さを輝かせつつ、当てもなく途方に暮れ神社に足を踏み入れた真央の前に、その場所が根城なのか、自らを神様と称するホームレス(なかみつ)が現れる、

 全方位的に自由だな。

 神様との、ドリフの神様コント風の遣り取りを経て、奇跡か単なる場当たり的な方便に過ぎないのか十円玉一枚を手にしただけの真央は、今度は聖オーピー教会の神父・畑中秀人(真田)と出会ふ。何処まで俗世に疎いのかピュアに間抜けなのか真央を本物のシスターと誤認した畑中は、職と住まひを失つた真央を、資金難から閉鎖の危機に瀕してゐるともいふ教会にひとまづ連れ帰る。ところで絶賛童貞の畑中は、悩殺ウィズ衣装で迫る真央すら相手にしないほどの、プリン狂であつた。
 「神父様、信者の大江朱美です」、とハチャメチャな無作為感が最早清々しい第一声で登場する一色百音は、だからオーピー教会の信者・朱美。梨花似のルックスと、そのイメージで固定されれば意外なグラマラスは攻撃力が高い。それもどうなのよといふツッコミは押し殺すとして、夫とのセックスレスの悩みを相談に訪れた朱美の夫とは、誰あらう実は克也であつた。ノーマルの営みでは満足出来ないとの克也の声を受けた真央は、朱美に修道女プレイを伝授し夫婦生活を丸く収める。この辺りの流れは、痴漢電車の初期理論を定立してみせた名作「痴漢電車 いゝ指・濡れ気分」(2004/主演:愛葉るび・なかみつせいじ)も髣髴とさせる。何処かしら影を宿した風情の藍山みなみは、寄付金集めから戻つて来たオーピー教会の本物の修道女・三好礼子。大江夫婦とは大学時代の同級生であり、二人の結婚式直後に出家した礼子は、複雑な視線を克也か朱美に向ける。その他結婚式参列者として見切れる二人は、永井卓爾と多分田辺悠樹か。
 桃色の機動力抜群のヒロインを擁し、神様といふ最大級の飛び道具をも果敢に投入したアクティブでアグレッシブな渡邊元嗣2010年第一作は、礼子の色んな意味で道に反した恋や、真央と畑中のもどかしいラブ・アフェアにと、貪欲に幅広く展開する。宗教的にあるいは無宗教的に、そこかしこに火の粉を撒き散らす大らかな無頓着さはあへて一旦無視するとして、プリン、“レオ・グラシアス”神に感謝する短い言葉、そして奇跡の十円玉。何れも有効に機能する伏線が数々並べられる様には、渡邊元嗣の好調を支へる山崎浩治の充実も漲る。よくよく考へてみるに、最近は良コンディションを維持してゐる藍山みなみの突破力を軸とした礼子の悲恋物語は、よくいへば敬虔ともいへるものの、教義の前に思考停止し為す術なく立ち尽くすばかりの畑中は尻目に、「気持ちを伝へるだけなら、神様はきつと怒んない!」といふ銀幕から観客を撃ち抜く真央の名台詞も引き出し、今作に於けるエモーションの頂点を高らかに貫く。逆からいふと、それ以降落差が鮮烈なオチから百合の花を咲かせるところまでは兎も角、そこで一息に映画を畳み込んでしまはずに、今度は真央と畑中の肉食系・ミーツ・草食系なラブ・コメディへとシフトして行く構成は、運命的な再会に際して若干もたつきを見せるのもあり、六十分にあれこれ詰め込み過ぎた過積載は否めなくもない。といふか、渡邊元嗣相手にこの期にピンクに於けるペース配分を問ふのも野暮な相談であるとするならば、単に手際の問題であるのやも知れぬ。とはいへ「青年よ、性欲に生きろ」などと宣り給ふ天啓を豪快に轟かせてみせた上、古めかしくも爽快感満点なラスト・ショットは、映画を感動的に綺麗に締め括る。その教会に降り立つた神は、ほんで何処の神さんなのよなどといふ狭溢な疑問は、この際忘れてしまへ。2010年もナベが飄々と駆け抜けて行くであらう雄姿を予感させる、何てこともないかのやうに見せかけて確かに充実した一作である。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )