真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「ユニバーサル・ソルジャー リジェネレーション」(2009/米/提供:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント/日本配給:エスピーオー/製作:ピーター・ハイアムズ、他/監督:ジョン・ハイアムズ/脚本:ヴィクター・オストロフスキー/原題:『Universal Soldier A New Beginning』/撮影監督:ピーター・ハイアムズ/編集:ジョン・ハイアムズ/出演:ジャン=クロード・ヴァン・ダム、ドルフ・ラングレン、アンドレイ・アルロフスキー、ザハリー・バハロフ、マイク・パイル、コーリイ・ジョンソン、ギャリー・クーパー、クリストファー・ヴァン・ヴァレンバーグ、他)。
 一度死んだ兵士を蘇生させることによる、戦闘マシーン“ユニバーサル・ソルジャー”(以下ユニソル)同士の激突を描いた「ユニバーサル・ソルジャー」(1992/監督:ローランド・エメリッヒ)から十七年。その間に製作された「ユニバーサル・ソルジャー ザ・リターン」(1999)やTV シリーズのことは事実上無きものとして、第一作以来初めてジャン=クロード・ヴァン・ダム(以下JCVD)とドルフ・ラングレンとが再び相見える続篇である。
 SPに物々しく警護されながらも、ロシア首相子息の兄妹がのんびりと博物館の観覧を楽しむ。表に停めた迎への高級車に二人が乗り込まうかとしたタイミングで、画面右から武装兵士を乗せた大型車が強行フレーム・イン、送迎車を大破させる傍ら兄妹を拉致。何故か少々撃たれたところで死なない兵士は、VIPの人質が居るといふのに結構無造作に発砲して来るロシア警察を相手に殆ど市街戦を展開しつつ、最終的には用意しておいたヘリで首相子息の誘拐に成功する。民族主義のテロリスト・トポフ指揮官(ザハリー・バハロフ)が声明を発表、人質の身柄と占拠したチェルノブイリ原子力発電所の原子炉と引き換へに、拘束された政治犯の釈放を要求する。トポフは“農夫に銃を持たせた”と揶揄されもする自身の組織の他に、JCVDの実息であるクリストファー・ヴァン・ヴァレンバーグ演ずる助手を従へた研究者を金で雇ひ、NGU(New Generation Unisol)と呼ばれる新世代型ユニソル(アンドレイ“ザ・ピットブル”アルロフスキー)を手に入れてゐた。ロシアはユニソルの開発元である米軍に協力を依頼、米軍は現存する五体の初期型ユニソルの内、四体をチェルノブイリに向かはせるものの、NGUとの圧倒的な性能差の前にまるで手も足も出せずに全滅。窮した米軍は、人間性の回復を目的とする更正プログラム「フェニックス・プロジェクト」の過程にあつた最後の初期型ユニソルである、リュック・デュブロー(JCVD)に白羽の矢を立てる。
 迂闊な世間は清々しく今作の方を向いてはゐやがらないやうだが、JCVDやドルフ・ラングレンの名前からそこはかとなく漂ふB級映画スメルには反し、結構どころか大分よく出来かつ、熱い思ひも込められた胸を撃ち抜かれる一作である。目につくツッコミ処といへばそこら辺の廃工場を原子力発電所と称してみせる安普請程度で、実際のところ二線級なのは1400万米ドルといふバジェットのみ。オープニング・シークエンスからカー・チェイスに銃撃戦を畳みかけ、以降も戦争アクションや主に新旧ユニソルが激闘を繰り広げる高スペックな格闘戦と、全篇を通して派手な見せ場がふんだんに盛り込まれる中、とりあへず何を特筆すべきなのかといふと、今時のアクション映画にしては画期的ともいへるのではないかと思ふが、劇場最前列で観てゐてスクリーンの中で何が起こつてゐるのか判らないカットが一つも無い、名匠ピーター・ハイアムズの熟練が火を噴く超絶の撮影がまづ比類ない。類型的なプロットを何気なく97分で一息に観させてしまふ為、ウッカリすると通り過ぎてしまひがちになるのかも知れないが、地味に脚本も計算され尽くしてゐる。共にアラフィフのJCVD(1960生)とドルフ・ラングレン(1957生)のことを慮つてか単に拘束時間の問題か、兎も角中盤まではNGUとその他初期型ユニソルに間をもたせ、リュックと、リュックにとつて元々は上官で、ユニソルになつてからは宿敵ともなるアンドリュー・スコット(ドルフ・ラングレン)とを順々に投入する構成が秀逸。人間であつたものが軍の非人道的な計画によりユニソルといふ殺戮兵器にされた出発点から、再び人間への道を苦しみながらも歩いてゐたところで、再び再び他人の都合に翻弄され、ユニソルとして戦地に赴くリュックの姿は、円熟味も増して来た決して馬鹿に出来ぬJCVDの演技力も相俟つて、普通に素のドラマとしてエモーショナル。対して細かくは書かないが、そもそもNGUを有してゐるといふのに、何で又わざわざこの期に戦力では完全に劣る初期型ユニソルの出番となるのか、といつた疑問に対して綺麗に答へてみせる、トポフ側に起動されたスコット軍曹が参戦する段取りの的確な論理性もスマートに光る。しかも自我を摸索して暴走するスコットを事態の霍乱要因に、一旦収束しかけた事件を再加速させる展開には震へさせられる。実は個人的には、JCVDといふよりは寧ろドルフ・ラングレンのファンなのだが、この人は間違つても演技者として表情が豊かなタイプではなからう。そんなドルフ・ラングレンにとつて、何かの弾みでか目覚めてしまつた自我の萌芽を持て余すかのやうに、闇雲に暴れ倒す人間凶器といふ今作に於けるスコットのポジションは、麗しいまでのハマリ役。そしてこれはJCVD、ドルフ・ラングレン双方にいへることだが、いい感じで年嵩も増し、痺れるやうな色気を醸し出す。その他のキャラクターの見所としては、アンドレイ・アルロフスキーと同じく現役のファイターであるマイク・パイル演ずる、軍務に忠実で有能なアメリカ軍兵士・バーク大尉が、最期まで折れることなき強いハートで、生身の人間ながらにNGUに果敢に挑む場面も燃える。そして何よりもイモーショナル(【imotional】、名詞形のイモーション【imotion】は“in motion”からの合成造語で、体が動き出すほどの強い感動の意)なのは、経験と決死を頼りに本来ならば自身よりも戦闘力の高いスコット軍曹やNGUに対する、リュックのクライマックス・バトルも勿論のこととして、なほのこと素晴らしいのは実はその前段。単身チェルノブイリに突入して行くリュックを捉へた、怒涛の長回しが凄まじく素晴らしい。雑魚キャラを駆逐しながら歩を進めるリュックの姿を追つて、まあ長く回す回す、そしてJCVDが猛烈に動く動く。その撮影自体が、戦闘といふ名で呼ぶに値する困難であつたらうことも想像に難くはなく、齢五十にして「俺はまだまだやれるんだぞ」といふJCVDの魂の叫びが聞こえて来るかのやうで、激越に心揺さぶられる。この嘘偽りだらけの現し世の中で、割らないカットの強さは、アクション映画が俺達に見せて呉れる一つの真実だ。一件落着した後は、下手な蛇足のエピソードなど盛り込まうとする色気も見せずに、ある意味淡白ともいへる手短さで幕を引いてしまふ潔さは、却つて深い余韻を残す。久方振りにドルフ・ラングレンの雄姿を銀幕に見たい、程度の軽い気持ちで辺鄙な場所にあるシネコンにまでチャリンコを走らせたものであつたが、思はぬ収穫どころか、JCVDとドルフ・ラングレンそれぞれのキャリアを語る上で第一作と同様欠かすことの出来ないであらう、随分決定的な名作であつた。

 さうかうしてみるとほぼ完璧な傑作であるかのやうにも思へて来るが、映画にとつて必要なもので、今作に欠けてゐるものを強ひて挙げるとするならば、女の裸が足りないといへば確かに欠片も無い。となると、熱い内に打つべく早く作つて欲しい次作に登場する新機軸は、いよいよ女ユニソルか。何だか「エロティック・パーク」系の物件で、既に何時か何処かで馬の骨が勝手にやつてゐさうな気もしないではないが。


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