イランの人


D810 + AF-S NIKKOR 35mm f/1.4G

大きな画像

知人のK氏は、その昔、日本に不法滞在しているイラン人たちを、自分の会社で雇っていた。
当時3Kと呼ばれ嫌われた職場で、募集をかけても、日本人はなかなか集まらなかったのだ。
イランの人たちは、特別働き者というわけではなかったが、体格のいい者が多く、与えられた仕事をそれなりにこなしてくれた。

怪しげな男が混ざることはあった。
軍で実戦を経験していることが多く、中には銃創のある者もいた。
薄ら笑いを浮かべたちょっと気味の悪い男もいて、裏で何をやっているかはわからなかった。
しかし日本の一般の人たちの中では、そういう男たちも牙を見せることは無く、まじめに働いていた。

中にひとり、Mさんという長身の男性がいた。
彼はイラン人の仲間の中では少し変わったタイプで、物静かで穏やかな、まるで僧侶のような男であった。
他の男たちとは同化せず、黙々と仕事をこなし、休憩時間にはひとりで本を読んでいた。

K氏はMさんに話しかけてみたが、すぐにかなりのインテリであることがわかったという。
知識は多方面に及んでおり、特に理工系では抜きん出ていた。
聞いて驚いたが、本国ではミサイルの設計をしていたのだという。

K氏は時々Mさんに英語の文章の書き方などを尋ねた。
Mさんは英語は堪能で、それと片言の日本語を話した。
K氏も多少の英語は話すが、書類を作る際の英文は、学校で習うものとはまた別のものだった。
彼から教わった知識を利用して、K氏は海外のメーカーと直接折衝することが出来るようになった。

遠く離れた中東の国ということで、K氏も彼らとの関係が永遠に続くものとは思っていなかった。
いつ何時、日本との関係が悪化し、彼らとの交流が出来なくなるかもしれない。
また不用意に親しくすることで、将来何らかの情報漏洩を疑われる可能性もある。
K氏は常にある距離をおいて接するようにしていた。

ある朝、Mさんが会社に出社してこなかった。
無断で欠勤するような人ではないので、心配してアパートに電話してみると大家さんが出た。
そして、入国管理局が踏み込んできて、Mさんを含むイラン人数人を捕まえていったと教えてくれた。
不法滞在で目をつけられていたのだ。

K氏は放っておけず、面会に行くことにした。
雇っていた自分も罪に問われることも覚悟して、K氏は入国管理局に出向き、Mさんと面会した。
Mさんは、「捕まりました」と、恥ずかしそうに頭をかいていたという。

当然Mさんは本国に強制退去させられるだろう。
K氏は急いで前日までの給料を計算して、再度訪問してMさんに渡した。
また送還に費用が発生することを管理局から知らされたK氏は、そのお金は自分が負担したいと申し出た。
すると、そうしていただけると有難い、と言われたという。


Mさんが帰国して、20年近く経った。
社長のK氏は昨年亡くなった。
時代は変わり、もうK氏の家族も、Mさんをはじめイラン人たちが会社で働いていた頃のことは忘れかけていた。

ところが昨年末になって、突然Mさんからメールが送られてきた。
インターネットで会社のアドレスを調べたらしい。
Mさんは帰国して、母国でそれなりに成功しているようだった。
少し歳はとっていたが、自分のオフィスでパソコンの前に座っている写真が添えられていた。

メールには、日本の工場の人たちは皆さんお元気でしょうか、と書かれていた。
今でも懐かしく思い出すし、日本の皆さんのことは忘れない・・という。
そして、今になって突然メールを出した理由が書かれていた。
「実は昨晩Kさんが私の夢に出てきたのです。それで気になってメールしました」

家族は驚いたが、まずはk氏が亡くなり、既にこの世にはいないことを伝えた。
あれから20年も経っているので、会社も様変わりしており、すでに当時の社員はあまり残っていなかった。
しかし古株を集めて写真を撮り、元気にやっているからと、メールに添付して送った。

MさんはK氏の訃報を聞きショックを受けているようだった。
「Kさんは素晴らしい人で、あの時本当にお世話になった。どうか安らかに眠っていただきたい」
Mさんからそう返信があった。

夢に出てきた・・という話を聞き、家族は少し不思議な気分になった。
Mのやつはどうしているかな・・と、k氏が会いに行く姿が思い浮かんだ。
もちろんイラン人のMさんはイスラム教徒だし、K氏の家は仏教である。
しかしあの世では、宗教も神様も、あまり関係無いのかもしれない。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )