クロサワ


子供の頃、父親から黒澤映画というものを教わった。
「生きる」を見ろと、風呂場で何度も聞かされた。

小学生の時に、僕にとって初めての黒澤映画である「羅生門」を見たが、難解で何が何だかわからなかった(笑)
しかしめげることなく黒澤映画を追う日々を続け、やがてその魅力にどっぷりと浸かっていった。

中学生の頃は、銀座の並木座や池袋の文芸地下に幾度となく通った。
これは東京に住んでいる利点を存分に生かしたと言っていいだろう。
毎週のように映画館に通い、かなりの作品を劇場で見ることが出来た。

どこかの映画館に隣接して、貴重な映画の資料を置いてある本屋があった。
そこで黒澤のシナリオの載った本を買った。
本屋のおじさんが僕に興味を持ち話しかけてきた。

黒澤のこの作品は見たかね?
いいえ、まだ見ていません。
それならいつか絶対に見なさい。

そんな会話があったと思う。
子供がいっぱしの本を買うのを見て、いろいろ教えてくれたのだ。
あの独特の雰囲気は、映画に人生を捧げた人に違いなかった。
もうあの本屋がどこにあったのか思い出せない。

高校生の時は、ついにテレビで放映された黒澤作品を、必死になってビデオに録画し、何度も何度も見た。
「七人の侍」の時など、あらかじめテレビ局に電話をして、CMの流れる時間をすべて聞き出しておいた。
テープを交換するタイミングを知っておきたかったのだ。

さらには名シーンをカセットテープに録音し、出たばかりのウォークマンで毎日聞きながら学校に通った。
そのためセリフとリズムを完全に覚えてしまった。

当時新作としては「デルス・ウザーラ」が公開されたが、全盛期の作品ばかり見ていたので、その静けさが今ひとつ理解できなかった。
しかし後になってシナリオを読み、何て素晴らしいのだろうと思った。

黒澤が亡くなった時、自分の青春も終ったような気がして、目の前が暗くなった。
せめてもと思い葬儀に出かけたが、黒澤プロが駅から遠くて閉口した。
着いてみると建物の前には数百メートルの長い参列者の列が出来ており、自分がその中の一人に過ぎないことを知った。

黒澤明監督は既に小さい箱になっていた。
祭壇の上の箱を見て呆然となった。
僕は黒澤久雄氏に一礼し、帰宅の途についた。

D2Hs + AF-S DX Zoom-Nikkor ED 17-55mm F2.8G(IF)
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (SHINYA)
2008-09-21 14:24:53
>あらかじめテレビ局に電話をして、CMの流れる時間をすべて聞き出しておいた。

この性分が写真にも現れていると思いましたよ。(笑)

 
 
 
Unknown (COLKID@自分の部屋)
2008-09-21 16:49:56
そうですかあ??(笑)
 
 
 
Unknown (やまだ)
2008-09-21 19:49:46
黒沢は少ししか知りませんが、
舞台のお芝居のように語るシーンがあったように思います。
シェイクスピアのように・・。
セリフを覚える気持ちがなんとなく分かります。

今の若い人は左ト全はもちろん三船敏郎さえ知りません。
高橋ジョージの妻三船美佳の父親として知っているだけですね。
それでyoutubeで教えてやるのです。
あれはとても便利です。
 
 
 
Unknown (COLKID@自分の部屋)
2008-09-21 20:17:47
全盛期(昭和30年代後半)の黒澤は、世界中の映画作家が追いつけないレベルに達していたと思います。
そののひとつのことだけで、日本人であることを誇りに思えました。
真似することさえ不可能なほどの神秘性を感じさせました。

三船は妙な訛りがあって、それがセリフの棒読みのようになって面白かったです。
特に「静かなる決闘」あたりが目立ったかな?
「用心棒」などは、そのままのしゃべり方で覚えてしまいました(笑)
 
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