この世の終わり


D850 + SIGMA 35mm F1.4 DG HSM

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子供の頃は東西冷戦の真っ最中で、誰もが日常的に核戦争の恐怖を感じていた。
学校の帰りに道を歩いていても、今ここで核ミサイルが飛んできたらどうしようと、子供ながらに考え、空を見上げることがあった。
まぶしい光線や熱線に晒される姿や、爆風ですべてが吹っ飛ぶ場面を想像した。

冷戦・・という言い方は過去のものとなったが、今でも危険度は下がるどころか、かえって上がっているのかもしれない。
ご存知の通り、昨年は北のミサイル発射実験でJアラートが発令された。
僕の家族は太平洋戦争で散々空襲に晒されており、家族の中では小さい頃から常にその話題が出ていた。
しかし一方で、自分の人生で空襲警報を体験するとは思っていなかった。
あの時は、いつミサイルが日本の都市に落ちてもおかしくないのだ、ということを改めて実感した。

ミサイルは人為的なものであるが、宇宙から小惑星が飛来して地球にぶつかることだってあり得る。
そうなれば、さらに壊滅的なダメージを受ける。
これはもう避けようが無く、避難さえ出来ない可能性が高い。
仮にあらかじめ衝突が分かったとしても、恐らく対処する手立てがないだろう。
今この瞬間にも、人類が消えてしまうことだってあり得るのだ。

そういう不安を抱えていると、最後はこれ以上考えてもどうしようもない・・ということになる。
考えたところで防ぎようがないなら、別のことをした方が得である。
子供でもそういう結論に至り、怖いからと泣き喚くようなことはしなくなる。
それでも生きていくしかないということを悟り、普通に生活を続けていくのだ。

出来ることといったら、いつどのような事態になっても、後悔しない人生を歩むということだろう。
これは意外に難しい事で、死を前にして自分の人生を振り返り、失敗したと後悔する人が非常に多いという。
結局は今やりたいことをどんどん実行していくしかないのだろう。
先を見越して計画ばかり立てても、その未来が来るという保証はない。

かと言って未来を無視した刹那的な生き方をしろと言っているわけではないので念のため・・・(笑)
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