鉄橋


D810 + AF-S NIKKOR 35mm f/1.4G

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僕の母親が小学生の時のことだ。
もう70年も前の話である。
その頃、同級生にA君という、ちょっといたずらな悪がきタイプの少年がいた。
彼は、どこのクラスにもひとりはいる、何かと問題を起すタイプの子供であった。

ある日、クラスの全員が、屋外に写生の授業に出かけた。
母親のグループが座って絵を描いていると、遠くをA君が歩いているのが見えた。
真面目に写生などしていられるか、ということだろう、絵の道具を放り出し、勝手にひとりでうろうろしている。

A君は、自分が見られているのを意識して、わざと皆を驚かすような行動を取った。
彼はそばを走る鉄道の線路の上を歩き、そのまま鉄橋を渡りだした。
時折こちらを向いてニヤニヤしてみせる。
皆が、はらはらしながら見ているのを、楽しんでいるようであった。

橋の中央部分まで差し掛かった頃、向こうから汽車の音が聞こえてきた。
皆がひやりとした。
彼は少し焦ったようだが、ちょうど橋の真ん中で、どちらに戻ることも出来ない。
汽車はどんどん近付いて来る。

もう逃げられないと思ったのか、A君は線路の中央部分で倒れこんだ。
2本のレールの真ん中で低く伏せて、汽車をやり過ごそうというのだ。
汽車が鉄橋に進入してきた。

皆が恐怖のあまり立ち上がった。
汽車が轟音とともにA君の上に覆いかぶさった。
誰かが恐怖に悲鳴をあげた。
いくつもの車輪が、A君のいる辺りを、轟々と通過していく。

汽車が通り過ぎて、そこには何もなかった。
しかし、やがてA君が、下からひょっこりと顔を上げた。
線路の下にあった窪みに、A君の小さな体は、何とか収まったようであった。
あまりの事に、へたり込む子供もいた。

遠くから、先生が走ってきた。
若手の女性の先生である。
活動的で、明るく厳しい先生であった。

先生は無言でA君の前に立ち、目を吊り上げてA君を睨んだ。
皆が固唾を呑んで見守る。
先生は片手を上げると、A君の頬を強くパンと叩いた。
A君は黙って頬を押さえていた。


その後、恐らく事件から20数年経ってからだ。
テレビの歌謡番組を見ていた時、突然母親が言った。
あの人を知っている。

テレビで歌っているのは、他ならぬA君であった。
当時大ヒットした曲を歌う、グループのリーダーであった。
ひげを生やしたA君は、すました顔で歌っていた。

今でも時々、A君が引き起こしたその事件のことが話題になる。
そのたびに母親は言う。
「小学生の時の音楽の成績は、私のほうがずっとよかったのよ」
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