酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「ザ・バニシング-消失-」~宣伝部長はキューブリック?

2023-12-08 22:23:09 | 映画、ドラマ
 チバユウスケさんの訃報が届いた。享年55と早過ぎる死である。記憶に残るのはミッシェル・ガン・エレファント時代で、チバさんは削いで研いだ言葉を礫にして吐き出すボーカルスタイルだった。ファンになるにはあまりに老いていて、ライブに触れたのはフジロック'98(豊洲)の一度きりだったが、最後方で目の当たりにした聴衆を熱狂させるパワーに、「彼らが今、世界一のバンド」と感じた。

 ミッシェル・ガンはともに邦楽ロックを世界標準に引き上げたブランキー・ジェット・シティと交流があったし、俺にとって最も大切なバンドであるルースターズへのオマージュを表している。〝魂のロッカー〟チバさんの冥福を心から祈りたい。ミッシェル・ガン解散後、殺気さえ覚えるパフォーマンスで〝鬼〟と評されたギタリストのアベフトシさんは一線を退き、ひっそり亡くなった。2人が奏でる轟音ロックが天国で鳴り響いているに違いない。

 新宿武蔵野館で1988年にオランダで製作された「ザ・バニシング-消失-」(ジョルジュ・シュルイツァー監督)を見た。国内上映権消失のため1週間の限定上映だった。1988年といえばACミランに所属していたフリット、ファンバステン、ライカールトがオランダを欧州王者に導いた年で、心が戦ぐのを感じた。ちなみに本作の主人公レックス(ジーン・ベルヴォーツ)はカートップに自転車を2台載せており、ツールド・ド・フランスの実況中継が流れている。

 本作には絶対的な宣伝部長が存在した。かのスタンリー・キューブリックで、3回観賞し「これまで見た中で最も恐ろしい映画」と絶賛した。シュルイツァー監督が「あなたの『シャイニング』と比べたら」と問うと、「本作に遠く及ばない」と答えた。かくして<サイコサスペンスの史上ナンバーワン映画>の評価が確立する。〝粗探ししてやる〟とひねくれ者の俺は、食い入るようにスクリーンを眺めたが、伏線は周到に張り巡らされていた。

 オランダ人のレックスは恋人サスキア(ヨハンナ・テア・ステーゲ)とフランスへの小旅行を楽しんでいる。ティム・クラッベによる原作タイトルは「金の卵」で、サスキアは冒頭、「金の卵に永遠に閉じ込められる夢」と見たとレックスに語る。さらに「金の卵はもう一つあった」と付け加えた。トンネルの中で車がガス欠して、レックスはサスキアを置き去りにしてガソリンを買いにいく。サスキアは闇の中を叫びながら歩いていた。

 ぎくしゃくする場面があったので、〝サスキアは自ら去った〟と勘繰ったが、さにあらず。仲直りした2人に視線をやっている男がいた。レイモン(ベルナール・ピエール・ドナデュー)だ。ドライブインに飲み物を買いにいったサスキアは戻らず、3年の月日が経ったが、レックスはサスキアの写真入りのポスターを現場近くで貼っている。テレビ番組に出演し、「君に会って真実を知りたい」と犯人(=レイモン)に呼び掛ける。レックスの元に犯人からの手紙が届くようになった。

 本作で興味深いのは構成で、レックスとレイモンの日常がカットバックされる。新しい恋人が出来たレックスだが、喪失感に苛まれている。一方のレイモンは大学教員で、妻と2人の娘と平穏な生活を送っている。異常者には見えないが、心に歪んだ欲望を秘めていた。女性を車に乗せて拉致するため、綿密に計画を練っているが、実行に移すと失敗ばかりのドジ男なのだ。

 家族とのエピソードで印象に残るのは庭で食事をするシーンだ。台の引き出しにサソリ? が蠢いていて、妻や娘が挙げた叫び声に鳥が呼応する。レイモンは笑っていた。レイモンは正義と悪の狭間で揺れていた。川で溺れていた少女を橋から飛び降りて救出し、娘の尊敬を得たレイモンだが、究極の悪を志向していた。偶然が幾つも重なりターゲットになったのがサスキアだった。

 レックスとレイモンはアムステルダムで遂に出会い、車に乗って国境を越える。両者の会話は緊張感が溢れ、レイモンは真実を語る条件を提示する。確実に睡眠薬が入ったコーヒーをレックスに勧めるのだ。見る側も試されている。あなたは飲まずに去るのか、飲んでサスキアに起きたことを知るのか……。レックスは決断し、酷いラストに至る。

 レイモンは検問所係員に「自分は閉所恐怖症」と語る場面があった。レイモンにとって生き埋めとは考え得る最悪の状況だったのか。シュルイツァーは5年後、本作をセルフリメークしている。タイトルは「失踪」で、ラストはハリウッド的な結末という。
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