酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「恋の罪」~境界線を越える園ワールドの魅力

2011-11-22 22:31:21 | 映画、ドラマ
 反対運動を押し切って建てられたこともあり、近くのワンルームマンションの評判が悪い。「若い子だけじゃなく、40代の派手な格好の女が住んでいる」とか「香水をプンプンさせて深夜に帰ってくる」とか、井戸端会議から厳しい声が洩れてくるが、年長者は住人と勘違いしているようだ。彼女たちはいかなる影と闇を辿って、デリヘル嬢に至ったのだろうか。

 こんな前振りに相応しい映画を見た。園子温監督の「恋の罪」(11年)である。前作「冷たい熱帯魚」(10年)について別稿(11年3月1日)に記したが、新作「ヒミズ」が来年1月公開というから、園監督はフルスロットル状態なのだろう。俺自身の心の密度、湿度、温度が作品に近いせいか、集中は途切れることなく、ダークで狂おしい144分の園ワールドに浸っていた。

 園作品は倫理や制度を哄笑する東欧映画(主にポーランド)の肌触りに似ている。頻繁に登場する悪魔もしくは悪魔的人間と重なるのが、「冷たい熱帯魚」ならでんでん演じる村田で、「恋の罪」では強烈な振る舞いで度肝を抜く美津子(冨樫真)だ。美津子の言動が遠心力になって、物語は<節度という軌道>から外れ、上昇するのではなくひたすら堕ちていく。

 「冷たい熱帯魚」では支配的なパワーを持つ男に女たちは屈服していたが、「恋の罪」は3人の女が火花を散らす作品だ。東電OL殺人事件をヒントにしており、舞台は同じく円山町だ。上記の美津子は一流大助教授(日本文学)という設定で、夜はデリヘル嬢、立ちんぼうとして体を売っている。現実の事件で殺された女性の異様な振る舞いと父への思慕は反映しており、母との確執、倒錯性に加え、文学の薫りが添えられている。

 <言葉なんかおぼえるんじゃなかった 日本語とほんの少しの外国語をおぼえたおかげで ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる>(田村隆一「帰途」から)

 美津子はこの詩を何度も口ずさみ、自らの行為を「城」(カフカ)になぞらえ説明する。弟子になったのは、流行作家(津田寛治)の妻いずみ(神楽坂恵)だ。夫は性愛を描いて人気を博しているが、自分に興味がない。人形のように扱われていたいずみは冒険を繰り返した後、美津子に闇へと誘われる。

 「冷たい熱帯魚」の印象を、<嘔吐した後、鏡に映る自分の蒼ざめた顔を見たような感覚>と記したが、本作でも園ワールドの際限のない毒々しさにあたってしまう。堕落、愛の不毛、宿命、業、罪といったテーマを、残酷さとユーモアにくるめて描き切っていた。

 冒頭とラストを飾るのが刑事の和子(水野美紀)だ。冨樫、神楽坂だけでなく、水野までヘアヌードを晒しているのには驚いた。イメージチェンジを図っているのだろう。美津子といずみに比べ、和子の置かれている状況は、極めてマトモだ。優しい夫と小学生の娘がいて、仕事もバリバリこなしている。世間体は保っているが、秘めたるマゾヒスティックな嗜好で、愛人に縛られている。

 無意味に思えたジョークが、印象的なラストに繋がっていく。ゴミ袋を持った和子は収集車を追いかけるが、「アキレスと亀」の寓話のように、あと一歩で追いつかない。いつしか和子は魔物が棲む円山町に佇んでいた。「恋の罪」は殺された美津子、後を継ぐいずみ、堕落を辛うじて食い止めている和子が織りなす、神々しくエロチックな寓話である。

 ダーティーな世界の入り口は狭いが、園子温というドアボーイと目が合ったら最後、血の匂いがする迷宮へと背中を押される。知と理が役に立たない場所では、感性と情念に身を任せるしかないのだ。
コメント (1)
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