まずは有馬記念の反省から。<愛と信頼>でギャンブルに興じてはいけない。人気を背負ったPOG指名馬は散々な結果で、リーディング争いとブエナ引退レースのプレッシャーからか、岩田は明らかに精彩を欠いていた。自らの博才のなさが身に染みる痛くて寒いクリスマスになってしまった。
さて、本題。今回は2011年のMVPのひとりである上杉隆氏を取り上げる。「国家の恥 一億総洗脳化の真実」(ビジネス社)を読了した。テーマは北朝鮮? いや、日本の現実を見据えたものだ。民主主義の国で快適に暮らす日本人、独裁体制下で塗炭の苦しみを舐める北朝鮮の人々……。その経済格差は絶大だが、自由度、洗脳度にどれほどの違いがあるのだろう。
上杉氏は国民を欺いてきたメディアを斬っている。年内で活動休止する上杉氏にとり、本書は〝遺言〟といえるだろう。ネット上(ダイヤモンド・オンライン)にアップされた記事をまとめたもので、「原発メディア震災」、「一億総洗脳化社会の行方」、「マインドコントロール支配の恐怖」、「暴論もたまにはいいことを言う」の章立てから、上杉氏の思いが伝わってくるはずだ。現在も公開中だし、本稿は同書の背景にポイントを置いて記すことにする。
上杉氏を発見したきっかけは、一枚のアルバムだった。「オリーブの樹の下で」(PANTA、07年)で、重信房子さん(元日本赤軍リーダー)が作詞を担当していた。録音に参加した娘のメイさんがジャーナリストと知り、ネットで検索する。「ニュースの深層」でメイさんの隣に座っていたのが上杉氏だった。
最初は正体不明だったが、そのうち上杉氏の人となりがわかってくる。切り口の鋭さ、打たれ強さ,間口の広さ、ユーモア……。そして、彼の敵が記者クラブであることを知る。辺見庸氏は記者クラブの政治記者を「糞にたかるハエ」と断じ、森達也氏と森巣博氏は「ご臨終メディア」(05年)で記者クラブを痛烈に批判していた。そして上杉氏は、自由報道協会を立ち上げ、正面化から戦いを挑む。記念すべき第1回会見(1月下旬)に、情報公開に積極的な小沢一郎氏を招いた。
この人選により、記者クラブ=反小沢、自由報道協会=親小沢の図式が出来上がってしまう。不毛な議論に終始するかと思いきや、3・11で別の構図にスライドした。「原発については中立」と語っていた上杉氏だが、〝悪の巣窟〟記者クラブがひれ伏す<原子力村=国家権力>の強大な壁にぶち当たったのだ。
原発事故に関して大本営発表を垂れ流した日本のメディアは、内外から不信の目を向けられる。一方で上杉氏は、今日に至るまで「ニュースの深層」で原発事故、放射能をテーマに取り上げ、原子力村に切っ先を向け続けている。その執拗さ、闘志、反骨ぶりには感嘆するしかない。活動続行を心から願っている。
メディアが権力のスピーカーになった理由を、俺自身の経験を踏まえて考えてみる。学生時代(1980年前後)、活動家がクラスに来て署名を集めることがしばしばあった。ラディカルな内容からヒューマニズムに根差すものまで様々だったが、署名する者は、俺を含め少数だった。「署名すれば警察から企業に通報され、就職できなくなる」と拒否した者の何人かは、3大紙や大手出版社に就職する。彼らに言論人としての初心はなく、目指したのは<一流の奴隷>だった。
スパルタカスはともかく、良心やお上に逆らう気概は奴隷にない。上杉氏のマスメディアへの怒りは理解できるが、ないものねだりではなかろうか。ちなみに<三流の奴隷>である俺は、失うものがないから少しは自由だ。だから、毒にも薬にもならぬ戯言を吐き散らかしている。
さて、本題。今回は2011年のMVPのひとりである上杉隆氏を取り上げる。「国家の恥 一億総洗脳化の真実」(ビジネス社)を読了した。テーマは北朝鮮? いや、日本の現実を見据えたものだ。民主主義の国で快適に暮らす日本人、独裁体制下で塗炭の苦しみを舐める北朝鮮の人々……。その経済格差は絶大だが、自由度、洗脳度にどれほどの違いがあるのだろう。
上杉氏は国民を欺いてきたメディアを斬っている。年内で活動休止する上杉氏にとり、本書は〝遺言〟といえるだろう。ネット上(ダイヤモンド・オンライン)にアップされた記事をまとめたもので、「原発メディア震災」、「一億総洗脳化社会の行方」、「マインドコントロール支配の恐怖」、「暴論もたまにはいいことを言う」の章立てから、上杉氏の思いが伝わってくるはずだ。現在も公開中だし、本稿は同書の背景にポイントを置いて記すことにする。
上杉氏を発見したきっかけは、一枚のアルバムだった。「オリーブの樹の下で」(PANTA、07年)で、重信房子さん(元日本赤軍リーダー)が作詞を担当していた。録音に参加した娘のメイさんがジャーナリストと知り、ネットで検索する。「ニュースの深層」でメイさんの隣に座っていたのが上杉氏だった。
最初は正体不明だったが、そのうち上杉氏の人となりがわかってくる。切り口の鋭さ、打たれ強さ,間口の広さ、ユーモア……。そして、彼の敵が記者クラブであることを知る。辺見庸氏は記者クラブの政治記者を「糞にたかるハエ」と断じ、森達也氏と森巣博氏は「ご臨終メディア」(05年)で記者クラブを痛烈に批判していた。そして上杉氏は、自由報道協会を立ち上げ、正面化から戦いを挑む。記念すべき第1回会見(1月下旬)に、情報公開に積極的な小沢一郎氏を招いた。
この人選により、記者クラブ=反小沢、自由報道協会=親小沢の図式が出来上がってしまう。不毛な議論に終始するかと思いきや、3・11で別の構図にスライドした。「原発については中立」と語っていた上杉氏だが、〝悪の巣窟〟記者クラブがひれ伏す<原子力村=国家権力>の強大な壁にぶち当たったのだ。
原発事故に関して大本営発表を垂れ流した日本のメディアは、内外から不信の目を向けられる。一方で上杉氏は、今日に至るまで「ニュースの深層」で原発事故、放射能をテーマに取り上げ、原子力村に切っ先を向け続けている。その執拗さ、闘志、反骨ぶりには感嘆するしかない。活動続行を心から願っている。
メディアが権力のスピーカーになった理由を、俺自身の経験を踏まえて考えてみる。学生時代(1980年前後)、活動家がクラスに来て署名を集めることがしばしばあった。ラディカルな内容からヒューマニズムに根差すものまで様々だったが、署名する者は、俺を含め少数だった。「署名すれば警察から企業に通報され、就職できなくなる」と拒否した者の何人かは、3大紙や大手出版社に就職する。彼らに言論人としての初心はなく、目指したのは<一流の奴隷>だった。
スパルタカスはともかく、良心やお上に逆らう気概は奴隷にない。上杉氏のマスメディアへの怒りは理解できるが、ないものねだりではなかろうか。ちなみに<三流の奴隷>である俺は、失うものがないから少しは自由だ。だから、毒にも薬にもならぬ戯言を吐き散らかしている。
別稿に記した通り、ウォール街での反抗にインスパイアされた東京の集会に参加しましたが、30年前と変わらぬムードに愕然としました。会場にいた右翼を左派が追い出す光景に、止めに入ろうと思いましたがやめておきました。反原発を唱え、貧困に取り組む右翼も存在する。幅広く結集することがないと、先鋭化した活動家が孤立し、運動はやがて萎んでいく。まさに悪夢のデジャヴです。
言葉尻を捉えて批判しているうち、バラバラになるケースが日本では多い。ファジーでポップなムーヴメントに、失うものを失くした若者を取り込んでいければいいのですが。
論理で闘った1960~70年より、1930年前後が参考になる。当時は意外にポップでしたよ。
反原発デモが訴えること、反貧困デモが訴えることこそ、デモを横目に過ぎ行く兄ちゃん姉ちゃんに伝わらなければ仕方が無い、と思います。
だからこそ、ロンブーで笑っている人たちを巻き込む位のポップさが、この先のデモには必要な気がします。デモをしかけているともだちに、来年はコミットしていこうと思います。全ては他人事じゃない、お前もベンチに入ってるんだぜ、ということが伝わらなければ、デモはただの交通の邪魔に堕してしまうと思います。
生まれた時から我々を覆う洗脳はなかなかばかにできません。だからこそ、クレバーな有効な言葉が必要とされていると思います。
蛇足ですが、もしソウル・フラワー・ユニオンを聞く機会があったら、2枚目のワダツミヤマツミをお勧めします。
またしても駄文、失礼しました。
ソウル・フラワー・ユニオン、機会があれば聴いてみます。
カルく見られがちですが、レコーディングダイエットですっかり名が売れた岡田斗司夫の「ぼくたちの洗脳社会」ご存知ですか。
現代はまず「洗脳ありき」であり、善悪はともかく、よりよい洗脳をハメた者勝ちであるという認識はなかなか戦闘的な組織論でもあり、「これ、『活動』をしてる友達に読んでもらいたいもんだ」と思ったものでした。
ニポンの発表を信じてしまった今年前半期に自分にとっても痛いところでした。ハメられてる、とは。
オートバイを駆っている身ながらすっかり贅肉がついた己が身体思うと、洗脳を貫通するスピードを手に入れなければハメられっぱなしで笑えないな、と、今年を振り返ってつくづく思いました。
クソ長い駄文で失礼しました。来年もよろしくおねがいします。