日本シリーズは楽天が王手をかけ、レッドソックスがワールドシリーズを制した。〝にわか野球ファン〟にあれこれ語る資格はないが、上原には素直に感動した。遅咲きが俺の好みだが、メジャー移籍時、晩年といった印象が拭えなかったからである。楽天・田中は旬を迎えて海を渡る。個として制球を究めた上原、日本的土壌に育まれた剛球の田中と、両者は好対照だ。
一昨日、訃報が届いた。同い年(57歳)の会社員時代の同僚が、心筋梗塞で急死したという。立ち位置の違いで疎遠になった時期もあったが、行きつけのお好み焼き屋で楽しい時間を過ごしたことを思い出す。さらなる訃報に心が湿った。川上哲治さんの死に、巨人ファンだった10代の頃の記憶が零れ出て、センチメンタルな気分に浸っている。知人と名将の冥福を心から祈りたい。
飛雄馬が「遊びといえば野球ばかり」と一徹に反抗するシーンがあったが、他の子供も似たようなものだった。俺が通っていた男子校では巨人と阪神のファンが拮抗していた。巨人ファンの級友は「アキレスと亀のパラドックス」を援用し、「阪神は永遠に巨人に勝てない」と言い放つ。妙な説得力に、阪神ファンは黙り込むしかなかった。
管理が過ぎるとか、冷徹とか、サービス精神に欠けているとか、川上監督への批判は当時から強く、掲げる「野球道」も胡散臭かった。同時期にセ・リーグで監督を務めていたのは、人情派の藤本定義(阪神)、放任主義の三原脩(大洋、ヤクルト)、勝負師の水原茂(中日)と個性的な面々で、彼らは教え子である川上さんを選手たちの前で「テツ」と呼び、叱責することもあったという。
偉大な先輩たちを乗り越えるため、川上さんは、〝武装〟せざるを得なかったのだろう。世代間戦争に向けた最大の武器は、ONではなく牧野茂ヘッドコーチだった。巨人の野球を繰り返し批判していた牧野を招聘し、参謀に据える。この賭けは成功し、V9として結実した。
「ONがいたからV9は当たり前」と論じるメディアもあるが、事実は異なる。巨人は当時、外国人選手を採らなかったし、脇を固めた柴田、高田、土井、黒江の終身打率は2割6分から7分台で、チームプレーに徹していた。阪神にもV9を阻止するチャンスは3度あったが、「残塁が巨人より100も多けりゃ、勝てるはずもない。スカタンや」と阪神ファンの級友が嘆いていた。
不利の下馬評で日本シリーズを迎えたことも多かったが、勢いや数字を超える〝番狂わせ〟を当たり前のように実現するのが、当時の巨人だった。最高の思い出は71年の日本シリーズで、絶不調で初戦は5番に下がっていた王が、第3戦で山田からサヨナラ本塁打を放つ。緻密な分析は牧野が担当していたはずだが、川上さんは強烈な運と求心力の持ち主だった。
9月には久しぶりに野球場(横浜)に足を運んだが、俺は疎外感を覚えた。何かを熱心に応援するという志向を、俺はとうの昔に失っていたのだ。オリンピックにも無関心で、ロンドン大会ではロック色の濃かった開閉会式を録画したぐらいである。オランダがワールドカップで悲願の優勝を果たしたら、サッカーともオサラバするだろう。〝にわか〟を別に俺が今、興味を持っているスポーツはNFLと競馬だけである。
スポーツの代わりといえるのが将棋だが、麻雀のテレビ対局もラインアップに加わった。グラビアアイドルでもある高宮まりが、攻撃的な打ち筋で女流モンド杯を制した。お局さまたちを刺激したくないのか、高宮は控えめな化粧と衣装で対局に臨んでいる。旧世代の代表格、〝卓上の舞姫〟こと二階堂亜樹が出産を経て復活するのも嬉しいニュースだ。熾烈で華麗な女流雀士たちの世代対決を、スポーツ感覚で楽しむことにする。
一昨日、訃報が届いた。同い年(57歳)の会社員時代の同僚が、心筋梗塞で急死したという。立ち位置の違いで疎遠になった時期もあったが、行きつけのお好み焼き屋で楽しい時間を過ごしたことを思い出す。さらなる訃報に心が湿った。川上哲治さんの死に、巨人ファンだった10代の頃の記憶が零れ出て、センチメンタルな気分に浸っている。知人と名将の冥福を心から祈りたい。
飛雄馬が「遊びといえば野球ばかり」と一徹に反抗するシーンがあったが、他の子供も似たようなものだった。俺が通っていた男子校では巨人と阪神のファンが拮抗していた。巨人ファンの級友は「アキレスと亀のパラドックス」を援用し、「阪神は永遠に巨人に勝てない」と言い放つ。妙な説得力に、阪神ファンは黙り込むしかなかった。
管理が過ぎるとか、冷徹とか、サービス精神に欠けているとか、川上監督への批判は当時から強く、掲げる「野球道」も胡散臭かった。同時期にセ・リーグで監督を務めていたのは、人情派の藤本定義(阪神)、放任主義の三原脩(大洋、ヤクルト)、勝負師の水原茂(中日)と個性的な面々で、彼らは教え子である川上さんを選手たちの前で「テツ」と呼び、叱責することもあったという。
偉大な先輩たちを乗り越えるため、川上さんは、〝武装〟せざるを得なかったのだろう。世代間戦争に向けた最大の武器は、ONではなく牧野茂ヘッドコーチだった。巨人の野球を繰り返し批判していた牧野を招聘し、参謀に据える。この賭けは成功し、V9として結実した。
「ONがいたからV9は当たり前」と論じるメディアもあるが、事実は異なる。巨人は当時、外国人選手を採らなかったし、脇を固めた柴田、高田、土井、黒江の終身打率は2割6分から7分台で、チームプレーに徹していた。阪神にもV9を阻止するチャンスは3度あったが、「残塁が巨人より100も多けりゃ、勝てるはずもない。スカタンや」と阪神ファンの級友が嘆いていた。
不利の下馬評で日本シリーズを迎えたことも多かったが、勢いや数字を超える〝番狂わせ〟を当たり前のように実現するのが、当時の巨人だった。最高の思い出は71年の日本シリーズで、絶不調で初戦は5番に下がっていた王が、第3戦で山田からサヨナラ本塁打を放つ。緻密な分析は牧野が担当していたはずだが、川上さんは強烈な運と求心力の持ち主だった。
9月には久しぶりに野球場(横浜)に足を運んだが、俺は疎外感を覚えた。何かを熱心に応援するという志向を、俺はとうの昔に失っていたのだ。オリンピックにも無関心で、ロンドン大会ではロック色の濃かった開閉会式を録画したぐらいである。オランダがワールドカップで悲願の優勝を果たしたら、サッカーともオサラバするだろう。〝にわか〟を別に俺が今、興味を持っているスポーツはNFLと競馬だけである。
スポーツの代わりといえるのが将棋だが、麻雀のテレビ対局もラインアップに加わった。グラビアアイドルでもある高宮まりが、攻撃的な打ち筋で女流モンド杯を制した。お局さまたちを刺激したくないのか、高宮は控えめな化粧と衣装で対局に臨んでいる。旧世代の代表格、〝卓上の舞姫〟こと二階堂亜樹が出産を経て復活するのも嬉しいニュースだ。熾烈で華麗な女流雀士たちの世代対決を、スポーツ感覚で楽しむことにする。
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