トランプ大統領が暴走している。金正恩委員長に親書を送って米朝接近を演出する一方、イランとの戦争を匂わせている。イスラエルの代理人としてパレスチナ和平案をでっち上げ、安倍首相の愛を試すかのように日米安保破棄に言及する。
前稿で記した「脱成長ミーティング」で、森千香子一橋大大学院准教授は<排外主義と新自由主義とのリンク>を指摘している。トランプを操っているのは恐らくグローバル企業と軍需産業だが、森さんはトランプ最大の支持基盤である福音派がフランスで暗躍していることに言及していた。世界規模で排外主義者と福音派の連携は確実だ。
サッカーW杯やオリンピックへの関心が失せた理由のひとつは、テレ朝系アナの「絶対に負けられない戦い」の絶叫だった。経済、スポーツ、選挙、出世争い、恋愛は戦争に擬せられるが、本当の意味で<絶対に負けられない戦い>を描いた映画を見た。「アンノウン・ソルジャー~英雄なき戦場」(17年、アク・ロウヒミエス監督)である。アキ・カウリスマキ監督作を除けば初めて見るフィンランド映画だった。
戦争映画で個人的なベスト3を挙げれば、公開順に「第十七捕虜収容所」(1973年、ビリー・ワイルダー)、「野火」(59年、市川崑)、「ディア・ハンター」(78年・マイケル・チミノ監督)となる。戦争映画で括っても切り口は様々だが、「アンノウン・ソルジャー~英雄なき戦場」は戦争をリアルに再現したドキュメンタリータッチの作品で、フィンランド現代史が後景に聳えている。
ソ連とドイツに蹂躙されてきたフィンランドは、1939年に始まったソ連との冬戦争に敗れ、カレリア地方を占領される。〝敵の敵は味方〟の論理でヒトラーと手を組み、国土回復を掲げてソ連に再度挑んだ。対独戦線で兵力を割けなかったソ連に対し、緒戦を優位に進めたフィンランドだが、国力の差はいかんともし難く、退却を余儀なくされる。アメリカに挑んだ日本と似た構図だった。
原作「アンノウン・ソルジャー」(ヴァイニョ・リンナ)はフィンランドの戦争文学の金字塔で、作者自身も本作の舞台になった第8歩兵連隊に属していた。作品の中で携帯する銃器について詳しく紹介されており、膨大な爆薬を使って戦場を再現していた。北極圏で展開する白兵戦は、痛く、熱く、そして寒い。スクリーンから皮膚感覚がリアルに伝わる同作はフィンランド史上、最高の動員を記録した。
主な登場人物は自由奔放なロッカ伍長(エーロ・アホ)、純粋なカリルオト小隊長(ヨハンネス・ホロバイネン)、どこか醒めているコスケラ小隊長(ジュン・ヴァタネン)で、3人の主観で物語が紡がれていく。あくまでズームの視点を崩さず、無名の兵士たちの情熱、勇気、友情、倦怠、絶望、恐怖、狂気のピースが填め込まれ、戦争という巨大なパズルが屹立した。
サイドストーリーとしてロッカと家族、カリルオトと新婚の妻の愛が組み込まれている。旧日本軍ほどの規律はなく、戦線離脱も不可能ではなさそうだが、ロッカとカリルオトは連隊に戻る。戦いとは矜持を懸けた存在証明だったのだろう。愛国心を煽る旧日本軍の如き上官(中隊長)を無視し、コスケラは粛々と退却戦を先導して兵士の命を守る。
枢軸国だったフィンランドは降伏後、連合国の一員としてドイツと戦い、敗戦を免れた。この判断に重なるのが、コスケラの冷静さだ。国家や軍より個の自由を重んじるロッカが帰郷するラストは、希望の象徴なのか、魂の帰還なのか、答えが出せない。現実と幻想と狭間を行き来した「嵐電」の〝後遺症〟いまだ癒えずといったところだ。
日本、いや世界で最も戦争にこだわり続けた映像作家は岡本喜八だ。「ああ爆弾」、「日本のいちばん長い日」、「激動の昭和史 沖縄決戦」だけでなく、中国戦線を舞台にした「独立愚連隊」、「独立愚連隊西へ」、「地と砂」には従軍慰安婦が登場する。戦争をテーマにした作品でなくとも、岡本の作品には反戦、反権力の思いが横溢していた。
フィンランドは現在、自由度、民主主義度、幸福度で軒並み世界のトップレベルと評価されている。戦争をリアルに記憶し、正しい教訓を得たからだろう。翻って日本は、戦争の過ちを血肉化せず、〝歴史の修正〟が幅を利かせている。その結果、自由と民主主義は後退し、時代閉塞に陥った。
前稿で記した「脱成長ミーティング」で、森千香子一橋大大学院准教授は<排外主義と新自由主義とのリンク>を指摘している。トランプを操っているのは恐らくグローバル企業と軍需産業だが、森さんはトランプ最大の支持基盤である福音派がフランスで暗躍していることに言及していた。世界規模で排外主義者と福音派の連携は確実だ。
サッカーW杯やオリンピックへの関心が失せた理由のひとつは、テレ朝系アナの「絶対に負けられない戦い」の絶叫だった。経済、スポーツ、選挙、出世争い、恋愛は戦争に擬せられるが、本当の意味で<絶対に負けられない戦い>を描いた映画を見た。「アンノウン・ソルジャー~英雄なき戦場」(17年、アク・ロウヒミエス監督)である。アキ・カウリスマキ監督作を除けば初めて見るフィンランド映画だった。
戦争映画で個人的なベスト3を挙げれば、公開順に「第十七捕虜収容所」(1973年、ビリー・ワイルダー)、「野火」(59年、市川崑)、「ディア・ハンター」(78年・マイケル・チミノ監督)となる。戦争映画で括っても切り口は様々だが、「アンノウン・ソルジャー~英雄なき戦場」は戦争をリアルに再現したドキュメンタリータッチの作品で、フィンランド現代史が後景に聳えている。
ソ連とドイツに蹂躙されてきたフィンランドは、1939年に始まったソ連との冬戦争に敗れ、カレリア地方を占領される。〝敵の敵は味方〟の論理でヒトラーと手を組み、国土回復を掲げてソ連に再度挑んだ。対独戦線で兵力を割けなかったソ連に対し、緒戦を優位に進めたフィンランドだが、国力の差はいかんともし難く、退却を余儀なくされる。アメリカに挑んだ日本と似た構図だった。
原作「アンノウン・ソルジャー」(ヴァイニョ・リンナ)はフィンランドの戦争文学の金字塔で、作者自身も本作の舞台になった第8歩兵連隊に属していた。作品の中で携帯する銃器について詳しく紹介されており、膨大な爆薬を使って戦場を再現していた。北極圏で展開する白兵戦は、痛く、熱く、そして寒い。スクリーンから皮膚感覚がリアルに伝わる同作はフィンランド史上、最高の動員を記録した。
主な登場人物は自由奔放なロッカ伍長(エーロ・アホ)、純粋なカリルオト小隊長(ヨハンネス・ホロバイネン)、どこか醒めているコスケラ小隊長(ジュン・ヴァタネン)で、3人の主観で物語が紡がれていく。あくまでズームの視点を崩さず、無名の兵士たちの情熱、勇気、友情、倦怠、絶望、恐怖、狂気のピースが填め込まれ、戦争という巨大なパズルが屹立した。
サイドストーリーとしてロッカと家族、カリルオトと新婚の妻の愛が組み込まれている。旧日本軍ほどの規律はなく、戦線離脱も不可能ではなさそうだが、ロッカとカリルオトは連隊に戻る。戦いとは矜持を懸けた存在証明だったのだろう。愛国心を煽る旧日本軍の如き上官(中隊長)を無視し、コスケラは粛々と退却戦を先導して兵士の命を守る。
枢軸国だったフィンランドは降伏後、連合国の一員としてドイツと戦い、敗戦を免れた。この判断に重なるのが、コスケラの冷静さだ。国家や軍より個の自由を重んじるロッカが帰郷するラストは、希望の象徴なのか、魂の帰還なのか、答えが出せない。現実と幻想と狭間を行き来した「嵐電」の〝後遺症〟いまだ癒えずといったところだ。
日本、いや世界で最も戦争にこだわり続けた映像作家は岡本喜八だ。「ああ爆弾」、「日本のいちばん長い日」、「激動の昭和史 沖縄決戦」だけでなく、中国戦線を舞台にした「独立愚連隊」、「独立愚連隊西へ」、「地と砂」には従軍慰安婦が登場する。戦争をテーマにした作品でなくとも、岡本の作品には反戦、反権力の思いが横溢していた。
フィンランドは現在、自由度、民主主義度、幸福度で軒並み世界のトップレベルと評価されている。戦争をリアルに記憶し、正しい教訓を得たからだろう。翻って日本は、戦争の過ちを血肉化せず、〝歴史の修正〟が幅を利かせている。その結果、自由と民主主義は後退し、時代閉塞に陥った。