ブロンド・レッドヘッドの来日公演(ビルボードライブ東京)が中止になった。NYインディーズと4ADが混淆した、官能的で濃密な音に浸ることを楽しみにしていたので、突然のキャンセルは残念でならない。日にちを間違えてモグワイを見逃すなど、今年は〝洋楽運〟が悪いようだ。次はモリッシー(9月末)だが、亡きデヴィッド・ボウイに敬意を示さなかったことで、英国でバッシングのまっただ中だ。希代の気分屋ゆえ、来日するのか不安になってくる。
高畑裕太の一件がメディアを騒がせている。奇異に映るのは、高畑淳子の涙ながらの謝罪会見だ。五輪報道でも感じたが、江戸時代の<五人組>から21世紀に至るまで、<個>ではなく<家族>がこの国の単位になっている。
高畑ほどではないが、俺も20代の頃は親不孝だった。引きこもり、社会的不適応者といった言葉が流布しておらず、東京砂漠で息を潜めていた。性犯罪や暴力事件が報じられるたび、両親は遠く離れた京都で「犯人は息子ではないか」と心配したという。少しマトモになった数年後、当時の友人が以下のように回想してくれた。
男の友人「最初会った時、爆弾でも作ってるんじゃないかと思った」
女の友人「無理心中を迫られそうで怖かった」
周りの目は客観的で正しい。俺は間違いなく犯罪予備軍だったが、悪運のみで社会に潜り込んだ。今回紹介する芥川賞受賞作「コンビニ人間」には、俺のあり得た未来像というべきダメ男が登場していた。
村田沙耶香は受賞時もコンビニ店員で、「バイトを続けますか」の問いに、「店長が許してくれるなら」とユーモアたっぷりに答えて笑いを誘っていた。13年前にデビューした後、三島由紀夫賞をノミネート4度目で受賞した(13年、「しろいろの街の、その骨の体温の」)。この事実が、文壇の厳しい状況を物語っている。村田ほどの実績があっても、小説だけでは食べていけないのだ。
主人公の恵子は36歳のコンビニ店員だ。作者と同じ設定だが、幾重にもプリズムが設定されている。読み進めているうち、本作は私小説と程遠く、カフカ的なテーマに貫かれていることに気付く。日本の作家なら安部公房で、上京直後に読んだ初期短編(「赤い繭」など)に重なった。私って何? 周りとの疎隔感の正体は? 生きるとは同化すること? 恵子は悩み続けてきた。
<空気を読む>能力に著しく欠ける恵子は、突飛な言動で家族や友達を驚かせてきた。周囲とずれていることを自覚していた恵子は18歳の時、コンビニでバイトを始める。そこは恵子にとって、蛹の自分を育んでくれる繭だった。<初めて世界の部品である>と感じた恵子は、<コンビニ人間として生まれた>ことを意識する。
恵子はコンビニと一体化していく。先輩たちからあれこれ吸収するうち、話し方やファッションまで似てくる。感情を豊かに表現できるようになった。同化する対象は次々変わっていくが、恵子をカメレオンと嗤える人は少ないはずだ。勤めるうちに職場の色に染まり、倫理観や良心まで失っても気付かないケースが多々ある。本作はコンビニを舞台にしながら、<個>と<集団>の構図を明確に描いている。
恵子は蛹のままで成虫にならない、休日もコンビニの音が耳の奥に鳴り、その匂いに包まれている。羊水と胎児の如き調和を乱した異物が白羽だった。同じ店に勤め始めた30代後半の白羽は、自己肯定、自己憐憫、自己防衛のための御託を並べている。ダメ男、いや、犯罪予備軍といっていい白羽は退職後、<世間の目>に対峙するため恵子宅で居候する。愛もなく、互いに欲望を覚えないから、恵子は押し入れ、白羽は浴槽で眠ることになった。
<コンビニ人間>として認められていたはずの恵子は、周囲の反応に愕然とする。<恵子&白羽>は劣悪な部品同士の結合で、表面上は祝福されるが、腹の内では嘲笑されている。同僚たちが人間以前の、オスとメスであることを恵子は直感する。
知らないコンビニでテキパキ対応する恵子に、白羽は狂気を覚える。彼女は新しい繭にくるまり、「コンビニ人間」としてリスタートするのだろうか。淡々とした記述の底に、アイデンティティーと疎外という深遠なテーマが滲んでいた。
高畑裕太の一件がメディアを騒がせている。奇異に映るのは、高畑淳子の涙ながらの謝罪会見だ。五輪報道でも感じたが、江戸時代の<五人組>から21世紀に至るまで、<個>ではなく<家族>がこの国の単位になっている。
高畑ほどではないが、俺も20代の頃は親不孝だった。引きこもり、社会的不適応者といった言葉が流布しておらず、東京砂漠で息を潜めていた。性犯罪や暴力事件が報じられるたび、両親は遠く離れた京都で「犯人は息子ではないか」と心配したという。少しマトモになった数年後、当時の友人が以下のように回想してくれた。
男の友人「最初会った時、爆弾でも作ってるんじゃないかと思った」
女の友人「無理心中を迫られそうで怖かった」
周りの目は客観的で正しい。俺は間違いなく犯罪予備軍だったが、悪運のみで社会に潜り込んだ。今回紹介する芥川賞受賞作「コンビニ人間」には、俺のあり得た未来像というべきダメ男が登場していた。
村田沙耶香は受賞時もコンビニ店員で、「バイトを続けますか」の問いに、「店長が許してくれるなら」とユーモアたっぷりに答えて笑いを誘っていた。13年前にデビューした後、三島由紀夫賞をノミネート4度目で受賞した(13年、「しろいろの街の、その骨の体温の」)。この事実が、文壇の厳しい状況を物語っている。村田ほどの実績があっても、小説だけでは食べていけないのだ。
主人公の恵子は36歳のコンビニ店員だ。作者と同じ設定だが、幾重にもプリズムが設定されている。読み進めているうち、本作は私小説と程遠く、カフカ的なテーマに貫かれていることに気付く。日本の作家なら安部公房で、上京直後に読んだ初期短編(「赤い繭」など)に重なった。私って何? 周りとの疎隔感の正体は? 生きるとは同化すること? 恵子は悩み続けてきた。
<空気を読む>能力に著しく欠ける恵子は、突飛な言動で家族や友達を驚かせてきた。周囲とずれていることを自覚していた恵子は18歳の時、コンビニでバイトを始める。そこは恵子にとって、蛹の自分を育んでくれる繭だった。<初めて世界の部品である>と感じた恵子は、<コンビニ人間として生まれた>ことを意識する。
恵子はコンビニと一体化していく。先輩たちからあれこれ吸収するうち、話し方やファッションまで似てくる。感情を豊かに表現できるようになった。同化する対象は次々変わっていくが、恵子をカメレオンと嗤える人は少ないはずだ。勤めるうちに職場の色に染まり、倫理観や良心まで失っても気付かないケースが多々ある。本作はコンビニを舞台にしながら、<個>と<集団>の構図を明確に描いている。
恵子は蛹のままで成虫にならない、休日もコンビニの音が耳の奥に鳴り、その匂いに包まれている。羊水と胎児の如き調和を乱した異物が白羽だった。同じ店に勤め始めた30代後半の白羽は、自己肯定、自己憐憫、自己防衛のための御託を並べている。ダメ男、いや、犯罪予備軍といっていい白羽は退職後、<世間の目>に対峙するため恵子宅で居候する。愛もなく、互いに欲望を覚えないから、恵子は押し入れ、白羽は浴槽で眠ることになった。
<コンビニ人間>として認められていたはずの恵子は、周囲の反応に愕然とする。<恵子&白羽>は劣悪な部品同士の結合で、表面上は祝福されるが、腹の内では嘲笑されている。同僚たちが人間以前の、オスとメスであることを恵子は直感する。
知らないコンビニでテキパキ対応する恵子に、白羽は狂気を覚える。彼女は新しい繭にくるまり、「コンビニ人間」としてリスタートするのだろうか。淡々とした記述の底に、アイデンティティーと疎外という深遠なテーマが滲んでいた。