酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「田中正造と民衆思想の継承」~抵抗者の崇高な意志

2013-11-13 23:36:24 | 読書
 山本太郎参院議員がきょう13日、「天皇直訴」で議長から厳重注意を受けた。園遊会で思い出すのは04年秋のこと。故米長邦雄将棋連盟前会長(東京都教育委員)が天皇に「日の丸掲揚、君が代斉唱が日本中の学校で行われるよう尽力しています」と語りかけ、「強制にならないことが望ましい」と諌められた件である。安倍首相の考えは米長氏と極めて近く、天皇元首化を目指している。

 天皇はラディカルな沖縄の地方紙を購読し、宮内庁に昨年、<葬送の簡略化>を指示した。皇后は先日、基本的人権と自由を掲げた五日市憲法草案への共感を語っていた。現在の皇室は歴史上、例を見ない座標に位置している。中道、リベラル、護憲派が支持し、保守派は明らかに危惧を抱いている。

 山本の天皇直訴を1901年の田中正造と同一線上で論じるのは無理がある。人格において歴然たる差があるからだが、若い山本には人間を磨く時間はたっぷりある。

 田中の生涯と後世への影響を綴った「田中正造と民衆思想の継承」(花崎皋平著、七つ森書館)を読了し、強い感銘を受けた。学生時代(70年代後半)、足尾鉱毒事件はブームになっていた。水俣などの反公害運動、三里塚闘争の原点として再評価されたのである。

 1890年代、古河が経営する足尾銅山から排出された鉱毒が、周辺地域に深甚な被害をもたらした。操業停止を求める運動の中心にいたのが地元選出の田中衆院議員で、闘いは幕末の一揆、自由民権の精神を受け継いでいた。田中は人民自治を志向しており、パリ・コンミューンと理想は近い。田中は憲法と人権、儒教倫理、そして勤王に価値を見いだしていた。天皇との距離の近さは、2・26事件の青年将校と重なる部分がある。

 田中の人生は、議員の職を辞し、直訴に失敗した後に煌めいた。思想を深化させ、キリストに接近する。「奇跡の丘」(64年、パゾリーニ監督)のキリストの如く、蓬髪で襤褸を纏い、清貧を貫く。高邁なキリストの魂に魅せられていったのだ.

 鉱毒は渡良瀬川⇒利根川を経て東京湾にまで流出した。本書は3・11の5カ月前(2010年10月)に発行されたが、鉱毒をそのまま放射能汚染に置き換えていい。足尾鉱毒事件が提示した<官と民>、<支配と自治>、<屈服と自由>、<資本と環境>の対立項は100年後の今も、解決を見ないまま横たわっている。

 田中は若い頃、貧民救済に奔走し、晩年は治水事業に情熱を燃やした。無私、無宿、無所有を自らに課し、民衆と同じ視線で接し、自然の中に神霊を見た。花崎の言葉を借りれば、<暖衣飽食の側にとどまって同情したり、「教え」を説いたりする>知識人とは対極に位置している。

 直訴を<憲政を侮辱する行為>と叩かれた田中を、<憲政の侮辱というなら松方首相の権力乱用の方が問題>と擁護した新井奥遂ら、「口舌の徒」と一線を画する者たちを花崎は紹介している。安里清信は沖縄・金武湾で反CTS(石油備蓄基地)闘争を展開した。原発建設も構想に含まれており、当時の闘いがなければ、沖縄は若狭湾を上回る原発銀座になっていたはずだ。

 別稿で記した「静かなる大地」の巻頭で、池澤夏樹はタイトル借用を了承した花崎に謝意を述べていた。同書は明治期の日本政府によるアイヌへの〝ジェノサイド〟を描いている。池澤は花崎が「田中正造――」で紹介したアイヌの語り部、貝澤正について学んだに相違ない。

 花崎は前田俊彦による批判を受け入れる形で、<人間の罪>について考察している。甚大な被害を認識しながら、チッソは水銀を垂れ流した。水俣病患者は交渉の席で「会社の幹部は順番に水銀を飲め」と迫る。誤解を招きかねない発言を、前田は以下のように分析した。

 <その行為が恐るべき死を意味するがゆえ、自分では決して飲まない水銀を、他人に平気で飲ませるという罪がどれほど深いのかを、チッソは知れということだ。患者たちは理性を失っているのではなく、「道理に依拠した理性」よって発言している>(要旨)

 古河の鉱毒、チッソの水銀、東電の放射能……。あまりに状況が酷似している。本来、人間相互の共感によって成立した<人間の罪>を免罪したのは、戦時に顕著な国家への忠誠心であり、資本への隷属といえるだろう。

 田中は「百戦百敗」と自身の生き様について語っていたが、そのDNAを受け継いで闘う者が後に続いている。数度目になるが、「忍者武芸帳」(67年、大島渚)の印象的な台詞を以下に記したい。

 <大切なのは勝ち負けではなく、目的に向かって近づくことだ。俺(影丸)が死んでも志を継ぐ者が必ず現れる。多くの人が平等で幸せに暮らせる日が来るまで、敗れても敗れても闘い続ける。100年先か、1000年先か、そんな日は必ず来る>……。

 田中正造もまた、影丸の精神を体現した聖者だった。
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