酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「カデナ」~沖縄に注ぐ池澤夏樹の鋭くて柔らかな視線

2013-08-21 23:13:42 | 読書
 俺を動物に譬えたら、左巻きの深海魚といったところか。海の底からブクブク飛ばした泡も、海面に届く前に消えている。偏向は承知の上だが、<拠って立つ場所がなければ何も見えない>という確信に支えられている。

 新聞だって当ブログ同様、偏向と無縁ではない。3・11後、フリーのジャーナリストは汚染水流出について東電を追及したが、大手紙記者は大声で遮り、時に恫喝にさえ及んだ。圧殺された<真実>は2年後、深刻な論調で伝えられている。<真実をリアルタイムで伝えないこと>は、メディアにとって最大の罪だ。朝日や読売に羞恥心と良心が残っているのなら、「新聞」から「旧聞」に名前を変更すべきだ。

 戦争について思いを馳せるこの時季、池澤夏樹の「カデナ」(09年、新潮文庫)を読了した。カデナとは嘉手納で、ベトナム戦争時、沖縄で反戦運動に加わった4人のうち3人の主観が、池澤の父(福永武彦)が得意とした<フーガ形式>で綴られている。4人とは、模型店を経営する朝栄、朝栄と旧知の間柄でベトナム人の安南、嘉手納基地で准将の秘書を務めるフリーダ、そして戦後に生まれたタカである。

 沖縄の苦難の歴史を語る朝栄と安南の年長者を、フリーダとタカが支えている。偶然に導かれた4人だが、最後に登場するタカが接着剤の役割を果たしている。「氷山の南」のジンはアイヌの民族楽器ムックリ、そして本作のタカはドラムと、ともに音楽で自己表現している。国籍、性別、年齢を超えて他者と感応するタカは、<独自性を維持しながら親和力によって高いレベルのアイデンティティーを獲得する>という池澤の理想を体現している。

 フリーダは米軍人の父、フィリピン人の母の間に生まれた。自分を捨てた父への憎しみもあり、母は反戦組織の中心になる。フリーダは空軍パイロットのパトリックと付き合っているから、母の求めに応じて北爆情報を流すことは国と恋人への二重の裏切りになる。

 フィリピンにおける日米の死闘は酸鼻を極めたが、フリーダの回想に描かれるのは日本軍の残虐さだ。インドネシアを舞台に描いた「花を運ぶ妹」でも、登場人物に「覚えている日本語はバカヤローだけ」と語らせているように、池澤の日本を見る目は厳しい。空爆に怯えるベトナムの少女と自分の過去が重なったことが、フリーダにルビコン川を渡らせた。

 タカは情報漏洩だけでなく、米兵の脱走に協力するグループにも参加している。ベトナム人だけではなく、米兵も恐怖に蝕まれていることが、脱走を試みる空軍兵マーク、そしてパトリックの言動に表れている。フリーダは<ナショナリズム>と<絶対的な善>の狭間で葛藤するが、彼女の行為によってベトナムで多くの命が救われ、結果としてパトリックの<罪>を軽減することになる。

 マークの行き先がスウェーデンという点も興味深い。別稿(12年6月8日)でスウェーデン製作のドキュメンタリー「ブラックパワー・ミックステープ」を紹介した。スタッフが黒人家庭を訪問して貧困と差別の実態をフィルムに収め、<福祉も医療も遅れたアメリカは、不自由で非人道的な後進国>(要旨)とナレーションを重ねた。<ベトナム戦争はナチスに匹敵する暴虐>との正論に逆ギレしたアメリカは72年から2年間、スウェーデンと国交を断絶している。マークがスウェーデンに憧れたのも当然ではないか。

 本作には沖縄の伝統、文化、風習、精神風土、そして日本とアメリカへの感情が描かれている。ハイライトといえるのは、タカの勧めでフリーダとパトリックが糸数壕(アブチラ)を訪れる場面だ。戦争の深い傷痕を目の当たりにした2人は、目を背けることなく、神聖な思いに心を打たれる。糸数壕はタカにとっても母の思い出に連なる場所だった。

 池澤は脱原発を早い段階から訴えてきた作家であり、沖縄にも強い愛着とこだわりを抱いているが、表立って政治的な発言はしない。<市民>という括りで訴える大江健三郎、炎上覚悟で自らの思いをツイッターで発信する星野智幸、パレスチナへの残虐をイスラエルで告発した村上春樹……。様々な表現方法はあるが、池澤は「作家は政治的な意見を作品の中で語り尽くすべき」と考えているに違いない。
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