堀潤アナがNHKを退局し、ネットでの情報発信を目指すという。東日本大震災以降、ツイッターで再稼働を批判し、アメリカ留学中に福島原発事故をテーマに据えたドキュメンタリーを製作するなど、堀アナは反原発の旗幟を鮮明にしていた。茨の道を選んだ気概を称えたい。
デヴィッド・ボウイの10年ぶりの新作「ザ・ネクスト・デイ」が音楽界の話題を独占している。前衛性、芸術性とポップを融合させたボウイはロック史上、最も影響力のあるアーティストだが、既に66歳。さほど期待していなかったが、時代に媚びず、自分を貫いたアルバムに仕上がっている。聴く者を異世界に誘う魔力は健在だった。
ボウイのセールス(初登場2位)をチェックしたついでにビルボード200を眺めていたら、思わぬ発見があった。1970年に発表されたロドリゲスの1stアルバム「コールドファクト」が121位(最高78位、チャートイン12週)、「シュガーマン 奇跡に愛された男」(12年、マリク・ベンジェルール監督)のサントラが164位(同76位、同13週)にランクインしている。
有楽町で先日、「シュガーマン――」を見た。才能を絶賛されたロドリゲスだが全く売れず、無名のまま73年、シーンから消える。本作は忘れ去られたシンガーの実像に迫ったドキュメンタリーで、アカデミー賞など世界の映画祭を席巻した。
アメリカ人は誰もロドリゲスを知らないが、南アフリカではエルヴィス・プレスリーやローリング・ストーンズを超える存在であることが冒頭で示された。これって、壮大なドッキリカメラ? 騙されんぞ……。身構えた俺に、真実が次々に突き付けられる。ある女性がロドリゲスのアルバムを携えて南アに暮らす恋人を訪れたのが、〝伝来〟のきっかけらしい。
音楽は時に世相とリンクする。「風に吹かれて」(ボブ・ディラン)は公民権運動のテーマ曲になった。「アカシアの雨がやむとき」(西田佐知子)は作詞者(水木かおる)の意図を超え、安保闘争敗北後の虚脱感を共有する者のアンセムになる。ロドリゲスの曲は、南アで両方の役割を果たしていた。
70年代の南アはアパルトヘイトが徹底し、黒人だけでなく異を唱える白人も弾圧の対象になった。閉塞感と挫折感に苛まれた改革派の白人層に、ロドリゲスの曲は浸透していく。当局はレコードを傷つけ〝危険な曲〟を聴けないよう処置したが、カセットテープで行き渡ったロドリゲスの曲は80年代以降、反アパルトヘイトのシンボルになった。
観賞後、映画館でサントラを購入した。70年代前半の傑作、ニール・ヤングの「ハーヴェスト」、ジェームス・テイラーの「スイート・ベイビー・ジェイムス」、ジョニ・ミッチェルの「ブルー」と聴き比べたが、メロディーもメッセージ性も遜色ない。「ボブ・ディランを重くした感じ」という音楽関係者の評は的を射ており、ジャンキー、失業者、娼婦、スラムの住人、ベトナムで犬死にする兵士、失恋男が詞に登場する。ロドリゲスは〝奇跡的に売れなかった歌手〟といえるだろう。
南アでは<ロドリゲスはステージで自殺した>と信じられていた。90年代後半、熱烈なファンのレコード店経営者とジャーナリストが、ロドリゲスの現在を探るためHPを立ち上げる。万策尽きた頃、突破口が開く。「父はデトロイトで生きてます」と実の娘の書き込みがあったのだ。
この辺りから、客席で鼻をすする音が漏れ始める。俺もまた、ハンカチで頬を拭っていた。涙の成分は、ロドリゲスの高貴さだ。スタッフが訪れたのは90年代後半だが、自分が南アで支持されているなんて露知らぬロドリゲスは、デビュー前から現在まで一貫して建設現場や工場で働いている。労働者であることに誇りを持っており、知人は「最もハードな仕事を率先してこなしてきた」と証言していた。<99%>のために市長選に立候補するなど、社会とも積極的に関わっている。
ロドリゲスは公演のため南アを訪れる。大騒動は予想通りだったが、驚かされたのは自然体だ。酒場で観客に背を向けて歌っていたように、シャイなロドリゲスは歌手時代、プロモーションが嫌いだった。フェイドアウトして四半世紀、数千人が埋め尽くすアリーナが本来の居場所であるかのように、ロドリゲスは堂々と振る舞っていた。
ロドリゲスがパティ・スミスのようにギター一本抱えて、ニューヨークに移住していたら、果たして成功しただろうか……。こんな想像をしてみたが、答えは「ノー」だ。ヒスパニックのブルーカラーは、良くも悪くもNYのスノッブな雰囲気に馴染めなかっただろう。
「今日はありがとう。おまえも俺にありがとうを言って、それが終わったら忘れよう。捨てちまえ」……。サントラはロドリゲスの台詞で締められている。まさに本物のパンクだ。南アでの30回の公演はすべてソールドアウトだったが、収益は仲間や家族に贈られた。金銭に無頓着なロドリゲスは今も以前と同じように働き、質素に暮らしている。高貴な生き様に魂を揺さぶられる奇跡の作品は、個人的に'13ベストワン候補だ。
デヴィッド・ボウイの10年ぶりの新作「ザ・ネクスト・デイ」が音楽界の話題を独占している。前衛性、芸術性とポップを融合させたボウイはロック史上、最も影響力のあるアーティストだが、既に66歳。さほど期待していなかったが、時代に媚びず、自分を貫いたアルバムに仕上がっている。聴く者を異世界に誘う魔力は健在だった。
ボウイのセールス(初登場2位)をチェックしたついでにビルボード200を眺めていたら、思わぬ発見があった。1970年に発表されたロドリゲスの1stアルバム「コールドファクト」が121位(最高78位、チャートイン12週)、「シュガーマン 奇跡に愛された男」(12年、マリク・ベンジェルール監督)のサントラが164位(同76位、同13週)にランクインしている。
有楽町で先日、「シュガーマン――」を見た。才能を絶賛されたロドリゲスだが全く売れず、無名のまま73年、シーンから消える。本作は忘れ去られたシンガーの実像に迫ったドキュメンタリーで、アカデミー賞など世界の映画祭を席巻した。
アメリカ人は誰もロドリゲスを知らないが、南アフリカではエルヴィス・プレスリーやローリング・ストーンズを超える存在であることが冒頭で示された。これって、壮大なドッキリカメラ? 騙されんぞ……。身構えた俺に、真実が次々に突き付けられる。ある女性がロドリゲスのアルバムを携えて南アに暮らす恋人を訪れたのが、〝伝来〟のきっかけらしい。
音楽は時に世相とリンクする。「風に吹かれて」(ボブ・ディラン)は公民権運動のテーマ曲になった。「アカシアの雨がやむとき」(西田佐知子)は作詞者(水木かおる)の意図を超え、安保闘争敗北後の虚脱感を共有する者のアンセムになる。ロドリゲスの曲は、南アで両方の役割を果たしていた。
70年代の南アはアパルトヘイトが徹底し、黒人だけでなく異を唱える白人も弾圧の対象になった。閉塞感と挫折感に苛まれた改革派の白人層に、ロドリゲスの曲は浸透していく。当局はレコードを傷つけ〝危険な曲〟を聴けないよう処置したが、カセットテープで行き渡ったロドリゲスの曲は80年代以降、反アパルトヘイトのシンボルになった。
観賞後、映画館でサントラを購入した。70年代前半の傑作、ニール・ヤングの「ハーヴェスト」、ジェームス・テイラーの「スイート・ベイビー・ジェイムス」、ジョニ・ミッチェルの「ブルー」と聴き比べたが、メロディーもメッセージ性も遜色ない。「ボブ・ディランを重くした感じ」という音楽関係者の評は的を射ており、ジャンキー、失業者、娼婦、スラムの住人、ベトナムで犬死にする兵士、失恋男が詞に登場する。ロドリゲスは〝奇跡的に売れなかった歌手〟といえるだろう。
南アでは<ロドリゲスはステージで自殺した>と信じられていた。90年代後半、熱烈なファンのレコード店経営者とジャーナリストが、ロドリゲスの現在を探るためHPを立ち上げる。万策尽きた頃、突破口が開く。「父はデトロイトで生きてます」と実の娘の書き込みがあったのだ。
この辺りから、客席で鼻をすする音が漏れ始める。俺もまた、ハンカチで頬を拭っていた。涙の成分は、ロドリゲスの高貴さだ。スタッフが訪れたのは90年代後半だが、自分が南アで支持されているなんて露知らぬロドリゲスは、デビュー前から現在まで一貫して建設現場や工場で働いている。労働者であることに誇りを持っており、知人は「最もハードな仕事を率先してこなしてきた」と証言していた。<99%>のために市長選に立候補するなど、社会とも積極的に関わっている。
ロドリゲスは公演のため南アを訪れる。大騒動は予想通りだったが、驚かされたのは自然体だ。酒場で観客に背を向けて歌っていたように、シャイなロドリゲスは歌手時代、プロモーションが嫌いだった。フェイドアウトして四半世紀、数千人が埋め尽くすアリーナが本来の居場所であるかのように、ロドリゲスは堂々と振る舞っていた。
ロドリゲスがパティ・スミスのようにギター一本抱えて、ニューヨークに移住していたら、果たして成功しただろうか……。こんな想像をしてみたが、答えは「ノー」だ。ヒスパニックのブルーカラーは、良くも悪くもNYのスノッブな雰囲気に馴染めなかっただろう。
「今日はありがとう。おまえも俺にありがとうを言って、それが終わったら忘れよう。捨てちまえ」……。サントラはロドリゲスの台詞で締められている。まさに本物のパンクだ。南アでの30回の公演はすべてソールドアウトだったが、収益は仲間や家族に贈られた。金銭に無頓着なロドリゲスは今も以前と同じように働き、質素に暮らしている。高貴な生き様に魂を揺さぶられる奇跡の作品は、個人的に'13ベストワン候補だ。