「ロッキング・オン」のHPを頻繁に訪れる。新譜レビュー、ライブ評、最新ニュースをチェックするだけではない。渋谷陽一氏はブログ「社長はつらいよ」で体内被曝の深刻さなどを繰り返し取り上げ、<3・11>の風化に警鐘を鳴らしている。「NO NUKEフェス」を主催するなど、ロッキング・オンは抵抗の手段としてのロックに希望を見いだしている。
<3・11>から2年、被災地に春は遠いのに、<1%>はアベノミクスで浮ついている。安倍首相をはじめ閣僚たちは、株高で大儲けしているという。リストラは円安とともに、株高の大きな要因だ。自らの血を吸う内閣を、庶民は支持している。
ある時期まで、いや、今でも俺は<3・11>を限定的に用いてしまう。体内被曝で亡くなる人が莫大な数に上ると予測され、<3・11>はいずれ福島原発事故と同義語になるだろう。だが、昨年5月末の妹の死で、感じ方が少し変わった。一人の死が、母を、義弟を、俺を、そして周りの人たちを打ちのめしたが、同じ事態が途方もない規模であの日、東北を襲う。個々の死の重さを妹に教えられた。
喪失感や寂寥感に耐えて暮らす被災地の人々に思いを馳せ、先週末は<反原発>に特化した集会には参加せず、「原発の今後を国民投票で決めよう」という趣旨の手作り感があるイベントを選んだ。約200人で新宿駅周辺をデモ行進したが、集合場所でフリー時代の先輩、MさんとNさんと再会する。ラディカルな論陣を張られているMさん、金曜夜の官邸前抗議は皆勤というNさんは、日比谷での集会&デモ⇒新宿⇒国会前のスケジュールだったのだろう。解散地点にお二人の姿はなかった。
短時間での終了を目論む警察の配慮なのか、一車線が開放されていた。デモ隊を突っ切って横断歩道を渡る若い女性、バスの窓から罵声を浴びせる青年のように苛立ちと嫌悪感を表す者もいた、通行人の大半は安倍内閣支持で、原発の今後に無関心なのかもしれない。
<3・11>直後、俺は当ブログで怒りをぶちまけていた。最初の敵はメディアで、「なぜ真実を伝えないのか」と振り上げた拳は、元の位置に収まる。映画「シッコ」(マイケル・ムーア)に描かれたように、アメリカの3大ネットワークは隣国カナダの整った医療保険制度を「社会主義的で劣っている」と繰り返し報じている。中国や北朝鮮のみならず、先進国でもメディアは国民を洗脳するツールなのだ。
となれば、政官財、研究者、暴力団が一体となった<原子力村>が次なる敵になる。古賀茂明氏が<原発こそ公務員改革の本丸>と語っていたように、利権と既得権益が絡む壁が聳えている。民主党政権末期、さらに巨大な影の実体に気付かされた。湯川れい子さんは昨年7月20日の官邸前抗議行動で、アメリカやウランをめぐるコネクションの恐ろしさを指摘していた。
湯川さんと前後して、福島党首ら社民党議員、志位委員長ら共産党議員が「野田政権を打倒するぞ」とシュプレヒコールを上げていた。<想像力とリアリズムの欠落>に愕然としたことは、翌日の稿に記した通りである。悪い予感は5カ月後、現実になる。野田政権が倒れた後、原発推進を明言する安倍政権が成立した。
中身を吟味せず<脱原発>と口にしてしまうが、稼働中は2基のみで、5月5日から2カ月弱は原発ゼロだった。いま問われているのは、原発を廃炉に向けてソフトランディングし、<原発というシステム>から脱却する道筋を示すことだと思う。宇都宮健児氏が都知事選で獲得した100万票弱、山本太郎氏が東京8区で石原伸晃氏相手に獲得した7万票余は希望を灯してくれたが、<脱・反原発>を訴える側は統一チームを作れなかった。
マイケル・ムーアは「民主主義国家において、すべての市民は活動家でなければならない」と語っている。大江健三郎氏よりポジティブかつアクティブに市民を捉えるムーアの言葉に説得力を覚えるが、俺はといえば、脱原発を小さな声で叫ぶ怠惰な市民だった。敵は我が内にあり……。まず責めるべきは自分自身であったのか。
小出裕章氏が常々強調する<一人一人の意志>はこの間、醸成されつつある。左右を超えて<脱原発>で協調する動きも胎動している。それらを繋ぐ柔軟なリーダーが登場すれば、この国もきっと変わる。プラス思考の俺は、そう信じている。
<3・11>から2年、被災地に春は遠いのに、<1%>はアベノミクスで浮ついている。安倍首相をはじめ閣僚たちは、株高で大儲けしているという。リストラは円安とともに、株高の大きな要因だ。自らの血を吸う内閣を、庶民は支持している。
ある時期まで、いや、今でも俺は<3・11>を限定的に用いてしまう。体内被曝で亡くなる人が莫大な数に上ると予測され、<3・11>はいずれ福島原発事故と同義語になるだろう。だが、昨年5月末の妹の死で、感じ方が少し変わった。一人の死が、母を、義弟を、俺を、そして周りの人たちを打ちのめしたが、同じ事態が途方もない規模であの日、東北を襲う。個々の死の重さを妹に教えられた。
喪失感や寂寥感に耐えて暮らす被災地の人々に思いを馳せ、先週末は<反原発>に特化した集会には参加せず、「原発の今後を国民投票で決めよう」という趣旨の手作り感があるイベントを選んだ。約200人で新宿駅周辺をデモ行進したが、集合場所でフリー時代の先輩、MさんとNさんと再会する。ラディカルな論陣を張られているMさん、金曜夜の官邸前抗議は皆勤というNさんは、日比谷での集会&デモ⇒新宿⇒国会前のスケジュールだったのだろう。解散地点にお二人の姿はなかった。
短時間での終了を目論む警察の配慮なのか、一車線が開放されていた。デモ隊を突っ切って横断歩道を渡る若い女性、バスの窓から罵声を浴びせる青年のように苛立ちと嫌悪感を表す者もいた、通行人の大半は安倍内閣支持で、原発の今後に無関心なのかもしれない。
<3・11>直後、俺は当ブログで怒りをぶちまけていた。最初の敵はメディアで、「なぜ真実を伝えないのか」と振り上げた拳は、元の位置に収まる。映画「シッコ」(マイケル・ムーア)に描かれたように、アメリカの3大ネットワークは隣国カナダの整った医療保険制度を「社会主義的で劣っている」と繰り返し報じている。中国や北朝鮮のみならず、先進国でもメディアは国民を洗脳するツールなのだ。
となれば、政官財、研究者、暴力団が一体となった<原子力村>が次なる敵になる。古賀茂明氏が<原発こそ公務員改革の本丸>と語っていたように、利権と既得権益が絡む壁が聳えている。民主党政権末期、さらに巨大な影の実体に気付かされた。湯川れい子さんは昨年7月20日の官邸前抗議行動で、アメリカやウランをめぐるコネクションの恐ろしさを指摘していた。
湯川さんと前後して、福島党首ら社民党議員、志位委員長ら共産党議員が「野田政権を打倒するぞ」とシュプレヒコールを上げていた。<想像力とリアリズムの欠落>に愕然としたことは、翌日の稿に記した通りである。悪い予感は5カ月後、現実になる。野田政権が倒れた後、原発推進を明言する安倍政権が成立した。
中身を吟味せず<脱原発>と口にしてしまうが、稼働中は2基のみで、5月5日から2カ月弱は原発ゼロだった。いま問われているのは、原発を廃炉に向けてソフトランディングし、<原発というシステム>から脱却する道筋を示すことだと思う。宇都宮健児氏が都知事選で獲得した100万票弱、山本太郎氏が東京8区で石原伸晃氏相手に獲得した7万票余は希望を灯してくれたが、<脱・反原発>を訴える側は統一チームを作れなかった。
マイケル・ムーアは「民主主義国家において、すべての市民は活動家でなければならない」と語っている。大江健三郎氏よりポジティブかつアクティブに市民を捉えるムーアの言葉に説得力を覚えるが、俺はといえば、脱原発を小さな声で叫ぶ怠惰な市民だった。敵は我が内にあり……。まず責めるべきは自分自身であったのか。
小出裕章氏が常々強調する<一人一人の意志>はこの間、醸成されつつある。左右を超えて<脱原発>で協調する動きも胎動している。それらを繋ぐ柔軟なリーダーが登場すれば、この国もきっと変わる。プラス思考の俺は、そう信じている。