酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「顔のない軍隊」~個別性から普遍性への飛翔

2011-07-15 03:09:00 | 読書
 なでしこジャパンのにわかサポーターになった。結果だけでなく、U17代表とともに〝バルセロナ的〟と評されるなど、プレーの質も絶賛されている。地盤沈下が目立つ日本だが、サッカーの土壌だけは肥沃になりつつあるようだ。

 菅首相の脱原発宣言に、周辺は冷ややかだ。枝野官房長官は「首相の思い」と補足したし、原発推進者の与謝野経済担当相は否定的な発言を繰り返している。〝隠れCIA〟と揶揄されるほど親米派の長島議員も、アンチ脱原発を鮮明にして蠢いている。

 イタリアが国民投票で脱原発に舵を切った時、菅原文太は「脱原発で日独伊三国同盟を」と提案した。なるほどと思いつつ、「もう一度、負ける?」との予感が頭をよぎった。米、英、中国、仏、露からなる原発推進<ABCFR包囲網>は戦前同様、かなり強大だ。スポーツは時に代理戦争の様相を呈するから、なでしこにはぜひ、決勝でアメリカを破ってほしい。

 先日、「顔のない軍隊」(作品社)を読了した。作者のエベリオ・ロセーロはコロンビア出身でガルシア・マルケスの再来と評されるが、謳い文句に惑わされるつもりはない。当のマルケスとバルガス・リョサが絶賛した「ロサリオの鋏」(10年4月24日の稿)は、マヌエル・プイクばりのシャープな台詞に乗って疾走する愛の寓話だった。かつて南米の地に咲き誇ったマジックリアリズムの胞子は風に乗って海を渡り、サルマン・ラシュディらインド系の作家に継承されたのではないか。

 本作の舞台はサン・ホセ村だ。周辺にコカ畑が広がり、政府軍、左翼ゲリラ、パラミリターレス(右派自警団)が麻薬利権を巡って入り乱れる。戦火の村では命の値段が下がる一方で、誘拐が相次いでいる。元教師のイスマエル老の目を通し、悲惨な状況だけでなく、コロンビア人の習性や感性が自嘲とユーモアを交えて語られていく。

 イスマエルの日々の楽しみは、隣人のヘラルディーナと養女グラシエリ-タの姿態を覗き見することだ。教師時代からの趣味だが、理性で欲望を抑えてきた。窃視を楽しむ老人は、ヘラルディーナの酷い最期を目の当たりにし、狂気の淵に追いやられる。

 行政と警察は撤退し、緊迫の度が増していく。知人たちは殺され、連れ添ったオティリアが行方不明になる。仲睦まじくはなかったが、妻の不在でイスマエルは孤独に苛まれ、幻視と幻聴に襲われる。譫妄状態で村を徘徊するイスマエルは、正気の頃は無縁だった聖性に近づいていく。

 「顔のない軍隊」に重なったのは、集団に潜む闇と相互監視を抉った映画「密告」(43年、クルーゾー)、人間の尊厳と不可視の恐怖との闘いを描いた「ペスト」(47年、カミュ)だった。3・11後の日本とサン・ホセ村にも大きな違いはない。行政は機能不全に陥り、情報は意図的に改竄されて報じられている。最大の共通点は、人々が宿命を粛々と受け入れていることだ。

 特殊な状況を描いた「顔のない軍隊」だが、読み進むにつれ壁が壊れていく。物語を個別性から普遍性へと飛翔させることこそ作家の力だと、本作で再認識させられた。



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