酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

プレイバックPART8~オレンジの衝撃に打ちのめされた年

2010-07-15 03:24:17 | 戯れ言
 オランダがW杯で優勝すればサッカーを断つと、随分前に決めている。今回も夢は潰え、別離は先送りされた。死ぬまでに<オレンジの呪縛>から解き放たれる日は来るだろうか。

 バルセロナで熟成されたシステムと呼吸は、そのままスペイン代表に息づいていた。世界一に相応しい勝者と対照的に、〝美しく負ける〟伝統に反して〝醜く負けた〟オランダはヨハン・クライフに酷評されている。

 クライフこそ<オレンジの呪縛>の最大の囚われ人なのだろう。彼我の実力を分析して〝卓球サッカー〟を指示したファンマルバイク監督は称賛に値する。今回のオランダは野性と闘争心に溢れたチームだった。

 俺がオレンジの衝撃に打ちのめされたのは、36年前のW杯西ドイツ大会である。今回は74年の思い出を記したい。

 俺は当時、大学受験を控えた男子高3年だった。俺の世代は〝最も出来が悪い○期生〟として、同校史に刻まれている。新旧過程切り替えの境目で、2年時に1年と同じ科目を履修したが、平均点で大きく差をつけられた。競馬に例えれば、春の時点で3歳馬に圧倒される古馬といったところか。
 
 そんな○期生の〝粋〟を結集したのが文系クラスの3年D組で、俺も栄えある一員だった。脱力感を漂わせる担任は「英語の平均点は全体で○点。D組は△点。頑張りや」と苦笑を浮かべて活を入れていた。ちなみに○-△が10点で済めば上出来だった。

 生物の授業中、「修学旅行で調査したんやけど、男子と女子、どっちがトイレに行く回数、多いと思う」と担任が質問した。俺がサッと手を挙げ、「男に決まっとる。男がトイレに行くんは他に用事があるんや」と言うと、近くの席の不良たち(喫煙者)がドッと沸いた。ちなみに俺は非喫煙を貫いている。

 3年時、恥とドジと笑える言動でクラスの人気者だった。好奇心も旺盛で、大志を抱く努力家、文学少年、民青、新左翼系と交友範囲も広かったが、不良たちとも関係は良好だった。彼らには俺もまた、落ちこぼれの仲間と映っていたのかもしれない。不良には特有の文化がある。喫煙、ロック、エロ本といった基本に、なぜかサッカーも含まれていた。

 「オランダ、凄いで」と勧められ、W杯を見た。当時は近畿放送(現KBS京都)が東京12チャンネル(現テレビ東京)から提供された映像を流していて、NHKはダイジェストだった記憶がある。俺はそれまでサッカーに全く興味がなかった。ロック初心者がいきなりグラストンベリーのMUSEのライブ映像を見るようなものだが、たちまち美しく革新的なオランダサッカーの虜になった。決勝で西ドイツに敗れた時は茫然自失状態になる。そのうち優勝できるだろうという思いは、叶わぬ恋の如く、絶望に近い希望のままである。

 フリット、ファンバステン、ライカールトを擁したACミランこそ俺のベストチームだし、オレンジ色が濃いバルセロナもずっと応援している。アンチのレアル・マドリードにファンニステルローイらオランダ勢が結集した時は、密かに宗旨変えしていた。各国リーグを見る時も、そのチームの〝オランダ度〟が絶対の物差しになっている。

 ついでに74年の表立った動きを。権力への執念が陥穽になったニクソンと田中角栄が相次いで辞任に追い込まれた。7月の参院選の獲得議席は自民62、社会28、公明14、共産13、民社5である。見出しは「自民大敗」というから、その後35年続く一党独裁の堅固さが窺える。

 何より気に懸けていたのはスポーツで、金曜8時が待ち遠しい猪木信者だった。巨人がV10を逃したのは痛恨事だったが、王ファンゆえ、長嶋の引退に感慨は覚えなかった。ガッツ石松の幻の右、アリがフォアマンを下したキンシャサの奇跡にも度肝を抜かれたが、近畿放送が放映したオリバレス―アルゲリョ戦で本格的にボクシングに目覚める。怪物オリバレスを逆転KOで下したアルゲリョは、今日に至るまで俺にとって最高のスポーツヒーローである。

 36年前、夢も志もなかった俺は、流されるように生きていた。40代まで同じペースで怠惰を蓄積したからこそ、50代になって少しは真面目になれた。時すでに遅しは否めないが……。人生とはそれ自体、不思議な生き物のようだ。定番やマニュアルと無縁であることを、振り返ってみて実感できた。



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