酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

政界は清水にあらず~松岡農水相の死に思うこと

2007-05-29 09:29:38 | 社会、政治
 昨日(28日)、松岡利勝農水相が自殺した。緑資源機構関連など、松岡氏が疑惑まみれであったことは報じられている通りだが、死者に弔意を示すのは日本文化の美徳である。ご冥福をお祈りしたい。

 安倍首相と皇太子が日本ダービー観戦(27日)に東京競馬場を訪れたが、管轄大臣の松岡氏は同行しなかった。晴れがましい場を避け、老母への別れと墓参に時間を割いた辺りに、氏の覚悟が窺える。

 松岡氏が衆院選(90年)に初出馬した際の演説がオンエアされていた。いわく<政界の汚れた水を一掃するため立候補した>……。氏が濾紙でなかったことは、「ナントカ還元水」発言からも明らかだ。この17年、濁水の底を亀のように這い続けてきたのだろう。

 「淀んだ政界池」の住人があれこれ語る中、異彩を放っていたのは、「身をもって償ったという意味で、松岡氏も侍だった」という石原都知事のコメントである。氏が武士(もののふ)であったかはともかく、必要だったのは拝一刀のような介錯人だったはずだ。

 <松岡氏に司直の手は伸びていなかった>との安倍首相の発言を、野党は追及するべきだ。三権分立の原則がまやかしで、検察の動きが官邸に伝わっていることを一国の総理が露呈した。超弩級の失言だと思う(注=コメント欄に訂正あり)。

 安倍首相の祖父は、ペンに叩かれながらも安保を通した岸信介元首相である。メディアへの生理的反感ゆえ松岡氏をかばい続けたと誤解していたが、真相は氏の自殺後に明らかになる。

 間近に迫った世界貿易機関(WTO)の会議で、日本の農業は深刻な事態を迎えるという。7月の参院選で自民党が農家票の目減りを食い止めるためには、松岡氏の存在感に頼るしかなかったというのが続投の理由だった。いわば党利党略である。事情を理解しながら報道しなかったメディアに憤りを覚えた。

 29日付朝日朝刊1面に世論調査の結果が掲載されている。内閣支持率が急落し、参院選でも自民と民主が大接戦を展開しそうだ。松岡氏の自殺が追い打ちを掛ける可能性も高い。民主は自民のダミーだが、「淀んだ政界池」の水を入れ替えるためだけでも政権交代は必要だ。淀んでいるからこそ、松岡氏が大きな力を持ちえたのだから……。

 残念なことに、ベネズエラでも腐敗が進んでいる。チャベス大統領が掲げる「新しい社会主義」は支持するものの、親米的な民放局(RCTV)に閉鎖命令を出すという暴挙に失望した。チャベスは<CIA―資本家―軍>が連携したクーデターで官邸を追われながら、国民の絶対的支持を背景に復権する(02年)。<清水で泳ぐアユ>だったチャベスは5年後の今、<泥池のナマズ>になりつつある。

 <権力は必ず腐敗する>……。英国の歴史家アクトン卿の言葉は、永遠の真理といえるだろう。ちなみに<水清ければ魚棲まず>とは、潔癖すぎると人は寄りつかないという意味だ。清濁併せ呑む日本の政治家たちには、孔子の遺訓はさぞかし心強いことだろう。

コメント (6)
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